今日、あの話芸の達人、浜村淳さんにお目にかかった。
私が手掛けているビジネスで、浜村さんとの打ち合わせが必要になったからである。
私が高校生だった頃、もう既に浜村淳さんは一世を風靡されていた。
深夜放送でも活躍されていたし、達者な話芸は私の憧れの的でもあった。
そんな浜村さんとお仕事ができる。
柄にもなく、私は緊張していた。
そして、マネージャーの方とともに会合の場に来られた浜村さんに私は最敬礼してこう言った。
お目にかかれて光栄です。
本当に心からそう思った。
私の青春時代、深夜放送を聞いて心踊った時が澎湃として蘇る。
私は貴方のおかげで、充実した若者時代を過ごすことができました。
そんな人、他にもたくさんおられた。
思い出すのは、FM大阪に入社して間もない頃だ。
談話室に、やはり憧れだったキダタローさんがおられたのだ。
そう朝日放送のヤングリクエストのレギュラー、「ミキサー完備スタジオ貸します」のキダタローさん。
当時は、今ほど道化のイメージはなく、音楽界の重鎮のひとりという印象が強かったころだ。
私は、新入社員であったということもあり、キダさんに会って、身体の震えが止まらないのを感じていた。
多感な頃に、摂取していた息吹き、濃密な空気が私を震わすとでもいえばよいのか。
その時の感動が、浜村さんを前にして蘇ったのだ。
本当にこういいたいと思った。
ありがとう、浜村淳さん。
私の気持ち、わからない人も多いかもしれない。
でもそんなことはどうでもいい。
私は今日はとてもハッピーだったのだから。
昨日「おいそが氏とおやかま氏」なんて話をした、ほかにも「ウッカリ夫人とチャッカリ夫人」「シングル君とダブル君」なんて番組もあった、いずれも昭和30年代、わかるわけないか、安部邦雄