夜道を歩いていると、どこからか河内音頭のかけ声が。
♪そりゃ?よいとよいやまか、どっこいさ?のせ?
関西人なら子供の頃から聞き馴染んだ独特のメロディである。
音の方角へ歩みをすすめると、広場があり、堤灯のあかりがあり、浴衣姿の一団がいる。
簡単な演台がしつらえてあり、5人ほどの音頭取り、太鼓の演者、ギターの代わりにシンセサイザーの演者が場を盛り上げていた。
♪えいえん?さあては?この場の皆様へ?
近くに住む素人連のようである。
音頭が全般に平板。
でも、一生懸命音頭を読み上げている。
♪ちょいと出ました私は、おみかけどおりの若輩で?よ?いほ?いほい?
(えんやこらせ?どっこいせ?)
考えたら、河内音頭のフレーズが次々に私の頭に浮かんで来る。
ほとんどが鉄砲光三郎さんから聞いて覚えた言葉の数々。
そういえば、鉄砲光三郎さんはもう亡くなったのだろうか。
♪七百年の昔から、歌いつづけた河内音頭に乗せまして、八千八声のホトトギス、血を吐くまで?も、務めます?
(そりゃ?、よいとこさっさのよいやあさっさ?)
だが、悲しいことには踊り手は、わずか35人。そのまわりを50人ほどの人々が呆然と見つめている。
100人ほどの住民しか、もはや盆踊りに集わない時代になったのかもしれない。
他の人々は?
アテネオリンピックに夢中でそれどころはないのかもしれない。
私の子供の頃なら、500人ぐらいの人々が集まっていた。
あのけん騒はもはやここにはない。
こうして、毎年、少しずつ盆踊りが消えて行くのだろう。
河内音頭の振り付けを知る人々も、少しずつこの世から消えて行き、思い出さえもやがて土の中に埋もれてしまう。
夏の日に なすすべもなき 我が身かな
まだまだ暑い日が続きます、残暑お見舞い、お元気で、おせん肥やすな、馬肥やせ、安部邦雄