10年前に私が書いた文章を読み返してみて愕然とした。
何て、文章が下手なのだろう。
てにをはもいい加減だし、言葉の一つ一つに輝きがない。
こんな文章力で己の存在を誇示していたかと思うと、穴があったら入りたい気分である。(とはいえ、今もそんなに文章がうまいわけではないが。)
その文章の一部は、今日の「はてなダイアリー」に引用したので興味のある方はそちらをどうぞ。
今回はハイパーリンクさせていませんので、自分で探してお読み下さい。
ただし、相当手を加えたので恥はある程度おさえられていますが。
ま、それはよいとして。
今から10年前と言うと、1994年、平成6年のことである。
何があったかというと、思い出すのは関西新空港の誕生である。
これで大阪は世界のハブ空港になり、大きく発展するだろうなんて言われていた。
その結果・・・・。
バブルがはじけたとはいえ、関西の経済力の低下は目もあてられないほどだ。
経済力が落ちれば、文化の発信力も落ちる。
ますます、でかい地方都市への道を邁進しているようで、心は今も関西人の私は気がめいるばかりだ。
関西を活性化させるにはどうしたらよいのか。
一つ言えるのは、関西が国の予算の受け皿にならないことではないだろうか。
何とかをするから国から金をもらう、という了見はやめた方がいい。
金ぐらいで自分で調達したらどうか、大阪人ならそれぐらい考えられるだろう。
国から金をもらっていたら、他の地方都市と同じことしかできない。
金が足らないからと言って、物乞いみたいに霞ヶ関に行くのは自嘲すべきではないだろうか。
戦時中によく言われた言葉に「足らぬ、足らぬは工夫が足らぬ」というのがある。
足らないなら、工夫して足りるようにしろ、ということだが、確かに今の関西、それぐらいの努力はした方がいいのではないか。
口を開けていたら、国が金を注ぎ込んでくれるなんて考え方は、衰退する地方の考え方である。
頭を切り替えないと、全国の地方とともに沈んで行くしかないのだ。
いったい、今の日本、いくら借金があると思っているのだ。
これ以上、国に頼らず、ひとりひとりが工夫して、関西を再び経済の中心に持って行こうではないか。
関空の二期工事なんか、もう諦めた方がいい。
もっと大阪人らしい発想で、世界との交流を考えてほしい。
とにかく、このままじゃ本当にいかんぜよ。
今日はあまり深く考えずに書きなぐってしまった、身体に熱があるみたいで、あんまり頭も働かないようだし、明日も又30度を超える?たまんねえなあ、安部邦雄