自分の記憶はどこまで遡れるだろうか。
私の場合、2才から3才ぐらいなら何とか覚えている。
雪の朝、表に出て立っている自分。
ハマグリの貝殻を笛にしようと思って、石垣にガリガリ穴を開けている自分。
誤って、裁縫の針を踏み、それが中で折れてとれなくなったこと。
医者で跳んでごらんどいわれて跳んでいる自分。
だが、結局わからず病院へ。
レントゲンを2回もあてられ、やっと針の存在がわかり、麻酔がきかぬまま手術させられたこと。
泣きわめく私の足をひもで固定し、動けなくされたこと。
窓から見える景色、それは家の中庭で、お手伝いさんが掃除しているのがわかった、とか。
すべて3才ぐらいまでの記憶。
それがわかるのは、子供の頃住んでいる家が、しょっちゅう変わったからである。
生まれは奈良県の生駒、1才ぐらいで大阪へ。さすがにこの頃は記憶がない。
3才頃2回目の引越、5才になる頃に又引越し、今の千林の実家に移った時である。
上に書いたのは、最初の大阪の家の記憶。
だから3才以前ということがわかる。
確かに自分がそこにいたという記憶がある。
後で、誰かから聞いて、あたかも自分がそれを覚えているという錯覚に陥ることがあるが、そうではない。
なぜなら、この記憶は私しか持っていないからだ。
忘れることはできない記憶。
いや、覚えやすいシチュエーションだったと言えるのかもしれない。
あれから50年あまり、自分は数多くの記憶を脳に積み重ねてきた。
だが、子供の頃の記憶と違って、それらの時間的な繋がりは曖昧だ。
簡単に記憶が時系列からはみ出てしまう。
東京に来てから16年経つが、その間の自分の記憶を時系列に正確に並べるのは難しい。
大阪時代もそう。
15年間の放送局時代の記憶になると、どのエピソードがどの時間にはまるのかすら定かではない。
記憶は覚えやすいように変容し、邪魔臭い場合はほとんど捨象されて、エッセンスだけが残ってしまう。
恨みなどの否定的感情が残りやすいのは、エッセンスとしてそれがあまりに強烈だからだろう。
甘い香りよりも、きつい臭いの方が記憶に残りやすい。
そんなところだろうか。
しかし、子供の頃の記憶と、今の私を結ぶものって何なのだろう。
そこに確実に自分がいたとしても、それにリアリティを感じることが本当にできるのだろうか。
よくSF映画なので、架空の記憶を植え付けられる主人公が出てくる。
記憶のリアリティがアイデンティティを作るのだろうか。
自分のアイデンティティを子供の頃の記憶に投影しているのだろうか。
実は、このあたりのこと、よくわからない。
その頃の私を作っていた細胞はほとんど死んでしまっていて、今残っているのは、その細胞の記憶だけを受け継いできた細胞たちなのだから。
だから、本当にその記憶が正しいのかどうかは、誰も証明はできないということになるのかもしれない。
子供の頃の記憶、だが、それを失えば、今いる自分も又失ってしまうような気がするのだが、いかがだろうか。
駅からの帰り道、こんなことばかり考えながら歩いていたのだが、きっと身体が疲れていて、今解決を要求されているような喫緊の課題を考えたくなかったのかもしれないね、安部邦雄