通勤の電車に乗った。
車内はそれほど混んではいなかった。
つり革につかまりながら、今日の予定を頭で確認していた。
ふと足下を見ると、そこにかすかに光るものがあった。
1円玉が落ちていたのだ。
乗客は誰も興味を持っていないように思えた。
まるでゴミ扱い、あってもなくてもどうでもいいもの、1円玉はそんな存在に見えた。
私も、何だ1円玉かと思って、また今日の予定を考えはじめようとしたが、待てよ、1円玉だからといって、放っておいていいのかと思い直した。
もう一度1円玉を見た。
向こうもこちらを見ている。
おまえ、おれを見つけたくせに無視するのか。
そんなメッセージまで聞こえてきたような気がした。
「1円を笑うものは1円に泣く」「ちりも積もれば山となる」、色んな諺が次々に頭に浮かんだ。
だけどなあ、今さら拾うのもなあ。
しばしの沈黙。
頭から1円玉を消そうと、何度か首を振った。
だが、消えぬ1円玉、消えぬその視線。
決心した。
ひざを折り、1円玉をゆっくり拾い上げた。
座っている乗客が、奇異の目で私を見ていた。
そんなもの拾って、どうするつもりだ。
警察に届けるつもりか?
ええオッサンが一円玉拾いかよ。
私は、大切なものを扱うように汚れた1円玉を手でぬぐった。
そして、胸ポケットに入れ、そのまま窓の外を見た。
しばらくすると、その1円玉の存在を忘れた。
先ほど、シャツを脱ぐと、1円玉の感触が布を通して手に伝わった。
危うく、そのまま洗濯機に入れてしまうところであった。
一体、今朝1円玉を拾うことに躊躇したのは何のためだったのか。
結論が出せぬまま、書き連ねてしまった今日の私。
一円を笑うものはの諺は、元々一銭を笑うものは一銭に泣くだった、もはや銭の単位では何のことかわからず、一円を笑うもの?になってしまったようだ、私の子供の頃はまだ一円札も存在していた、落ちていれば誰も当然のごとく拾ったものだった、安部邦雄