日曜日の夜、「リーサル・ウェポン3」を見ないで、借りて来た「グリーン・マイル」を見る。
相変わらず、スティーブン・キングの全体の構成は見事だ。
スティーブン・キングの映画を最初に見たのはやはり「スタンド・バイ・ミー」。この人がミステリーの大家だとは全く知らなかった。
後、映画では「シャイニング」(あ、こっちの方が先か?私はスタンリー・キューブリックの大ファン)と「ミザリー」を見て、後はほとんどビデオの世界。
NHKが年末に「ランゴリアーズ」を2回に分けて放送した時は狂喜しましたね。
いいなあ、この着想!矛盾だらけだけど、許しちゃう。
ま、それでグリーン・マイルの話。
老人が当分死ねそうにないと最後に呟くのはやはりうまいですね。
同じプロットは手塚治虫先生の「火の鳥/未来編」(間違ってたらゴメン)の不死になった主人公という形で出て来ますね。
これは、ひょっとしたらスティーブン・キングがパクったかもしれないなあ。
私はでかい黒人「ジョー」の気持ちがよくわかる。
私は、同じような感性を詩にしたことがある。
「ぱっくりとあいた私の傷口から 少しずつ永遠の愛が流れ出す」と書いた。
無限の感性が人をぼろぼろにする、と私は苦しんだ。
もう、20年以上も前の詩だけれど。
彼の苦しみはすべてを背負うものの苦しみなのだろう。神ならぬものの限界。
キリストがすべてを背負って死んだのと同じ構造だろうか。
映画の話がちょっとそれてしまった。
でも、やっぱりスティーブン・キングはいいなあ。
安部邦雄