今年のGWはミクロネシアで鎮魂の旅に、と先日書いたら、敗軍の将、自民党の野中さんが「遺骨収集に行きたい」等と言っておられた。
私はそこまでの使命感はないが、どうしてこの時期に同じようなことを考えるのかなと不思議に思った。
そんなことありませんか。
何気なく思ったこと、そしたらみんなが思っていた。
これを時代の空気というのでしょうか?
昨日迄、自民党様々だった人々が、あっと言う間に拒否反応。自民党だけは許せない!愛想が尽きた!
何があったんでしょうね。(やはり加藤氏の反乱とその鎮圧の中で繰り広げられた人間模様がただただおぞましかったからか。)
一つの、キーワードはインターネットかもしれない。
インターネットが作る空気、それがネット世代に広がって行く。
携帯でメールを打っている段階はまだ可愛い。その後、人と人のインタラクティブな関係はどう変質していくのだろう。
私は今、時代が私をとても自由にしていると思いはじめている。
インターネットという武器(あるいはtool)を持ってから、私の中に危ういが自信のようなものが生まれはじめている。
これは何だろう、時代の空気のひとつなのか。
今回は結論はない。
ただこのテーマはこれからも出てくるだろう。皆さんの感じているものもよければ教えてほしい。いかがだろうか。
しかし、小泉氏、あんな妖怪どもの中で改革なんてどうやってやるつもりなのだろう。私なら、怖くてやれない。
安部邦雄