昨日、『9500万人のポピュラーリクエスト』をラジオ大阪で聞いていたと書きました。
当時は、私はラジオ大阪フリークでした。(民放FM局はまだありません。)
一番のお気に入りは、「題名のない番組」(通称ダイナシ、桂米朝・小松左京出演)。
一言でいうと、粋な番組でした。女性のアシスタントの方は局アナで何とか美智子さんが初代で中西アナが2代目だったかな。
誰か知っている人いたら、補足して下さい。
ラジオ京都(現KBS)にも同じような番組で、米朝師匠とイーデス・ハンソンさんの番組がありました。
衣笠山の狸坊や、衣笠山の狸親父、ドスケビッチ・オナゴスキーさんなど、ユニークなリクエスターも多かった。
こういう番組が、一時期死にかかっていた上方落語を復興させるのに力を発揮したのは間違いないでしょう。
で、ラジオ大阪の話。
中学生が深夜放送を聞く等、まだとんでもない時代に、11時から2時まで放送していたのが、「アナウンサーコーナー」。七人の男性局アナがそれぞれ好きな音楽をかけながら、ああでもない、こうでもないと喋っていた。
私はこれにはまり、その中のおひとりである大島アナがFM大阪に移ったことから、FM大阪を志望したといういきさつもあります。(ま、第一志望ではなかったですが。)
後、仁鶴さんが売れるきっかけになった「大阪オールナイト」なんてのもありました。
ま、これらはいつかまとめてお話しましょう。
ラジオ大阪で憧れた人に中西ディレクターがおられました。
私が面白いなと思った番組は大抵、中西ディレクターでした。
FM大阪に入ってめざすは中西Dだったのですが、私が現役の頃は、もう中西さんは往時の覇気はありませんでした。
たまたまお会いした時、「中西さんの番組のファンでした」といったら、苦笑いされただけでした。
とても、寂しい経験でしたね。どうして、こんな才能豊かな人を、組織は潰してしまうんだろう、とね。
でも、それが世の中なんですね。
「今を生きる」のロビン・ウィリアムスに涙した気持ちが又甦ってきました。
安部邦雄