「竜馬がゆく」を読み続けている。
人生訓が様々に散りばめられ、飽くる事がない状況だ。
幕末の暴発する勤王の志士を見ていると、70年前後の新左翼運動をどうしても思い出してしまう。
観念論で突っ走る、学生達とイメージがかぶってしまうのだ。
赤軍派が、もはやゲバ棒の時代ではない。
武器を奪取して、臨時革命政府を樹立するのだと言っていたのが忘れられない。
今なら滑稽以外の何ものでもないが、その当時は世の秀才達が思いつめたようにそう叫んでいたのだ。
私達は一体歴史から何を習っているのだろうか。
表題の「世に生を得るは事を成すにあり」は、竜馬の語録として紹介されている。
これは私の今の気分にあっている。
せっかく生まれてきたのだ。
何かを成すことで自分の人生を終わらせたいと切に思っている。
私の世代には、もはやそんな気力を失っているのではという人が目立つ。
何のために貴方は生まれてきたのか、このまま何もしないで年老いてしまうつもりなのかと問いかけたくなる。
事を成し、その後終わんぬ。
その意味では、私はまだまだ飢えている。
疲れは顔に目立つかもしれないが、心は今も青雲の志に溢れている。
世に生を得るは事を成すにあり。
心したいことである。
私は昔から新選組は嫌いだ、近藤勇を美化するような大河ドラマもどうかなと思ってしまう、単なる権力の暴力装置、過激な機動隊でしかない、権力に利用されるのがオチだ、安部邦雄