6/3のこの欄でスピッツを見なくなったと言ったが、偶然に代々木公園に散歩に連れてこられている人に出会った。
キャンキャンとやはりよく啼く。
姿形はこんなだったかなあ、と考えたがその啼き声はまさしくスピッツのそれだった。
私の母の親父さん(祖父ともいいますが)の家に飼われていたので啼き声だけはよく覚えている。
ただ、「じゃかわしい!」のである。
昔のテレビ番組の話の続きで、「ひょっこりひょうたん島」のスピッツ長官を思い出した。
ナチスの権化みたいなスピッツで、危うしひょうたん島民というシリーズ。スピッツは当時きらわれものだったのかもしれない。
さて、表題の「百犬声に吠ゆ」だが、元は「一犬形に吠ゆれば、百犬声に吠ゆ」という中国のことわざである。
「一犬、虚に吠ゆれば万犬実を伝う」とも言うらしい。
広辞苑の訳は「人が虚言を言うと、多くの人がそれを真実として伝えるものだというたとえ」だそうである。
伏魔殿の外務省そのものですね、こうなると何が真実かわからなくなる。
マスコミ、特にテレビのワイドショーとかスキャンダル雑誌なんか、その具体例がいやというほどあるのは御推察のとおり。
ただ、私はこの「百犬声に吠ゆ」に、付和雷同する人間の悲しさを感じるわけだ。
いしいひさいち氏の漫画に、犬と散歩していて、野良犬に囲まれた飼い主が、何とか木に登って逃げた。すると、野良犬たちは木の下でワンワンと吠える。
よく見ると、自分の飼い犬まで仲間に入って吠えている。
周りの犬の表情を盗みながら、気弱そうにワンワンと。
ガックリくる飼い主。
何か人間社会にもありそうなシチュエーションではないか。
そごうの水島元会長等、さぞかしこの思いに絶望していることであろう。
私だって、いつ家来たちにこんな状況に追い込まれるかもしれない。
ま、とはいえそれはお互いさまだ。
何てたって、私は「異常ありません!」という犬が大好きなのだから。
金の切れ目が何とやら、安部邦雄