カフカの不条理小説の一つだが、今回はそんな高尚な話ではない。
今、邱永漢さんの『騙してもまだまだ騙せる日本人』という本を読んでいる。
その中で、日本人は海外勤務をする際、行く前から帰ることを考えているというくだりがある。
「外国に住むようになっても、あといくつ寝たら・・と指おり数えて国に帰る日を楽しみにしている。日本人にとって外国に行くのは、流刑にあうようなものだ。」と続く。
これでは、その土地に骨を埋めるつもりで頑張ること等とても期待できないというのだ。
実は、この考えに似たものをFM大阪のかっての同僚たちの中に何度も見たことがある。
大阪から東京支社への人事異動はそんなに頻繁に行われることではないが、不幸にもその異動にあった社員は、だいたい東京に居ても大阪に帰ることばかり考えていたように思う。
私も大阪から東京に移動させられた一人だが、彼等の気持ちの一部は私の中にも共有されていたことは否定できない。
東京に来てから何か月かは、新橋で新幹線が通るのを見ながら、ああ、あれに乗れば大阪に戻れるんだなあ、と何度思ったかしれない。
しかし、私には東京に仕事をしに来たんだという使命感があった。その仕事のためには東京という文化に早く馴染まなければという意識が強かった。
だから、しばらくするとそういう気持ちはどんどん薄れていったと記憶する。
でもほとんどの同僚は違っていたようだ。
馴染んでしまうと帰れなくなると恐れていたとでも言うのだろうか。
先日、ある後輩から「お願いですから、東京でばりばり仕事をしているなんて本社で言わないで下さいね。」と言われたことがある。
「どうして?」と聞くと、「馴染んでいると思って本社が安心してしまい、大阪に帰らせてくれなくなります。」
そんな気持ちで毎日過ごすのは楽しいのだろうかと思ってしまう。
それほど、大阪本社の人間は東京に赴任することがイヤなようだ。
他にも社員が一杯いるのに何で私が・・・という気持ちもあるだろう。
しかも、我慢して東京に行ったとしても、それは少しも出世コースではない。(逆に見捨てられかねない。)
で、私も邱永漢さんと同じ結論になる。
東京に行くことは、流刑にあうことと同じなのだと。
懲役3年の刑と同じ、誰がそんな刑に服したいものか!なのであろう。
大阪人にとっては、海外に行くのも、東京へ行くのも、流刑地に行かされるの同じ?
そうです、これが現実なのだと断言できます。何故か?うーん、そういう気質なんでしょうねえ、日本人は。
その伝だと、私なんか流刑地暮し13年、もう牢名主の貫禄がついてしまって動けないというところか。
うー、「ショーシャンクの空に」のモーガン・フリーマンではないか、まるで。
え?動けないのなら、ジャバ・ザ・ハットだろうって?
うーん、それはFM大阪の林君に言ってみてね。
故郷に帰りたい、デンバー安部