40歳の声を聞いてから、思い出せないことが増えてきました。
昔の話を思い出せないのではないのです。昨日のことが思い出せないのです。
それを病気だとかアルツ入っているなんて言って、私を弄ぶ人もいますが、うざったいからやめて下さい。
脳なんてそういうものなんです。若い頃はいくらでもデータをランダムに蓄積できます。
それほど、若い頃は脳の中ががらがらに空いているのです。
これが、40歳をすぎると、経過した時間量も多いし、附随して情報量も多くなります。
そうするとどうなるか。
ランダムに情報を整理することがとても難しくなるのです。
情報は確かにどこかにあるはずなのですが、ランダムアクセスに時間がかかるようになるのです。
これが思い出せないという実感につながります。
アクセスパワーを上げて、何とか情報を引っぱり出そうとするのですが、その分とても疲れます。
しかもその努力も空しく、情報へのアクセスに失敗したら、これは失敗体験として残り、自己否定へ繋がることもあるのです。
「ああ、おれはもうあかん。」悲劇ですねえ。
でも、蓄積した情報量が増えれば、その分アクセスするのは難しくなるのは、コンピューターを見ていればよくわかるではありませんか。
パソコンだと、例えばHDDの容量を上げても、CPUのクロック数を上げない限り、どんどんアクセスのスピードは落ちます。(メモリの容量も関係しますが)
人間だって、パソコンと同じ原理で情報処理しているわけですから、年をとって能力が落ちているにもかかわらず、情報量ばかり増えていたら、そりゃ昨日のことなど一々おぼえていられませんやね。
あー、重たい、重たいー、あー、ここまで出ているのにー、咽まで来ているのにー、あー、言葉が出て来ないー!
あたりまえなのです。情報量が増えたのが原因なのです。
私が悪いわけではない!
家来どもが、時々、昨日言ったことと話が違いますが、などと生意気に意見をすることがあるが、そんなもん、しゃあないやないか。
わしゃ、神さんちゃうで。だいたい、わしの情報量が多すぎるからそうんなるんで、それのどこが悪いねん。
文句があんねんやったら、わしのCPU、ええのんと変えてからにせんかい!
わかったら、解散、解散。もう、空のHDDどもめが。
あくまで洒落でっせ、安部邦雄