目の前にカセットがある。やや「夜霧のハウスマヌカン」と書いてある。
二つのことを思い出す。
やや、そういう歌手がいたなあ。今どうしているんだろう。
ハウスマヌカン、昔はそういう言い方をしたなあ。今ではカリスマ店員だもんなあ。(これもそろそろ古いかも)
私は、76年からディレクターを始めたので、普通の人よりはるかに多くの歌手を知っている。
普通の人は、ある程度ヒットしないとその人の名前を覚えはしないだろう。
しかし、ディレクターともなると、嫌というほど新人歌手を見てきた。
もちろん、デビューできただけでも幸せな方で、仕事柄、どうしてもプロになりたいというアマチュア歌手も死ぬほど会って来た。
本人にとっては一生で一度、私にとっては毎年繰り返される日常茶飯事。
何で、こんな世界で仕事をしたいなんて思うんだろうとため息が出る。
スポーツだと実力だけの世界、強い、うまい、速い奴が勝つ世界。とてもシンプルだ。
しかし、アーチストの世界は違う。
実力20の運80、金や欲望が渦巻くどろどろした情念の世界。
本当にどうしてこんな世界に入りたいのかなあ。
少し、曲がヒットしたとしても、ややのように、もう誰も思い出さない存在にすぐなってしまうのに。
ハウスマヌカンもそうだ。
一時期、マヌカン、マヌカンともてはやされ、シャーディーがヒットしたときには、マヌカン・サウンドなんて言い方もされていた。
彼女のコンサートもそういうマヌカンさんで一杯だったと言う記憶がある。
安い賃金で過酷なノルマを課され、朝から晩まで働きづめの売り子さん。
それをハウスマヌカンなんておしゃれな名前で呼び、若い女性に憧れの職業に見誤らせていたのだろう。
流行が去れば、マヌカンなんて言葉はまやかしであったことにほとんどの人が気づいたはずだ。
それから15年後、今度はカリスマ店員ときた。
トレンドを作り出す発信源と崇められ、女性に圧倒的な人気などと雑誌で書かれる。
構造は昔と少しも変わらない。
誰がこんなことを性懲りもなく繰り返すんだろう。
人は結局過去から何も学ばないゆえに、歴史は繰り返すのだ。
それは私も例外ではないと自戒して、久しぶりに「夜霧のハウスマヌカン」を聞いてみることにしよう。
と思ったら、昔の私のニュースの同録に変わっていた安部邦雄