ちょっこうちょっき、と読む
会社の予定表のところに、例えば顧客の名前を書き、直行直帰と書き込んでその日は帰宅。
次の日は家でゆっくり寝て、形だけ顧客の所へ行き、適当に時間をつぶす。
夕方、映画の一本も見て、終われば速攻で帰宅。盛り場でうろうろしていてはいけない。
あ?あ、疲れた。
風呂に入って、ビールを飲んで、テレビでも見ながらすごす。そして就寝。極楽極楽。
営業マンの美学だと私は思う。
これで、久しぶりに心はリフレッシュ。
毎日毎日、お得意まわりをするだけが営業マンではない。
一度たりとも会社に行かないということがどれだけ大事なことか、もっと自覚的であるべきではと私は思う。
イヤな奴にあわなくて済むとか、上司にごちゃごちゃ言われなくて済むとか言う問題ではない。
会社というものから距離を置くことが重要なのだ。
毎日会社に行き、嫌々仕事をし、終われば同僚と一杯。
そんな毎日であってはいけない。
いつの間にか、貴方のライフサイクルに会社がしっかと固定されているのに気付くべきである。
貴方が会社に寄生しているのか、それとも会社が貴方を宿主にしているのか。
いずれにせよ、貴方は知らぬ間に全身会社人間になってしまう。
価値評価の基準はすべて会社。
狭い中での競争、狭い中での権力争い、狭い中での醜い嫉妬。
知らぬ間に、他人の足を引っぱっていることにも気付かないほど鈍感になってしまう。
直行直帰は、せめてもの鈍感な自分を見つめ直すきっかけにはなるだろう。
会社という客体を介さないで仕事をすることがどれほど大事か、貴方は気付いているだろうか。
もちろん、電話ぐらいは会社に入れないといけない。それは営業マンとしての最低のエチケットだ。
私が放送局の営業マンだった時、つとめて会社に行かないようにした。
会社に戻ろうとする自分を必死でとめていたのだ。
よく、上司がぼやいていた。
「外勤は昼休みに帰って来る必要はない。お得意と昼飯を食うのも営業マンの仕事だ。なのに、うちの社員は皆、食事時に帰って来る。」
営業マンだって巣に戻りたいのだ。皆と一緒にいて、情報を共有したい。外に出ればそれがわからない。自分だけ除け物になる。それがイヤだ。
私も一人の営業マンだった。皆が帰りたくなる気持ちがわかる。そりゃ、お得意と昼飯を食うのも成績を上げるのには絶好の機会であることぐらい、言われなくてもわかる。でも、それよりも、会社に帰りたい。一生営業マンやっているわけではない。こんな部署、早く変わりたい。
営業マンなんて、誰が喜んでやるものか。
でも、私はなるだけ会社に帰ろうとする自分をとめるようになった。
そんな気持ちでいたら、営業なんてできないぞ。
会社から離れれば離れるほど、本当に何が売れるのか、何を顧客が望んでいるのかわかるような気がする。
会社に近すぎると、会社が売リつけようとするものしか目に入らなくなる。
それでは、客の心から遠ざかるだけだ。
会社から遠ざかろう。
そのために何をするか、そうだな、とりあえず、直行直帰から始めよう。
変な理屈だが、なかなかいい点をついているはずだ。
で、私は会社からなるだけ遠いスポンサー(片道2?3時間かかる)とか、家から近いスポンサーを訪れ、必死の思いで顧客化していった。
直行直帰の為のスポンサーを是が非でもゲットしようとしたわけである。
こんなとんでもないこと他の営業マンはやらなかった。上司も、私がこんなことを意識的にやっていたとは思っていまい。
私の営業成績は皮肉にも上がっていった。
誰もやらないことをやれば、それだけで成績は上がる。
私の会得した普遍的真理である。
私の営業マン時代の話は、「安部邦雄全仕事」では当分書く予定はない。
これは主に、番組制作マンとしての仕事である。
それゆえ、営業的な部分はこの欄で書くことにする。
ま、制作は延べ13年だが、営業は4年弱にすぎないですから。
でも営業マンとしてはイマイチだったかも、安部邦雄