失業といえば、私はうちのオヤジを思い出す。
菓子職人で、私が幼い頃ずっと徳島県の小松島というところへ出稼ぎに行っていた。
戦争が終わって、復員したオヤジは昔とった杵柄で、菓子職人の道を歩んだと思われる。
昭和29?30年ごろ、オヤジは解雇された。
職人の数が多過ぎたのかもしれない。
まだ、経済成長も思うに任せない頃だった。
昭和25年の朝鮮特需も、その神通力を失いはじめたのかもしれない。
とにかく、私はまだ幼過ぎて、何故オヤジが失職し、小松島から大阪に戻って来たのかわからない。
オヤジは盆と正月に帰って来る存在だった。
兄弟3人で、オヤジを駅まで迎えに行ったのを覚えている。
でも、ある時からオヤジは家にいるようになった。
オヤジは、家に帰った日から、求職に毎日でかけるようになったという。
朝、弁当を持って出かけ、夜、今日もだめだったと家に帰って来る。
もちろん、詳しいことは知らない。でも、辛かっただろうなと今も思う。
弁当はたいてい公園で食べたという。
悲しい光景である。
今もこんな人は一杯いるのだろうなあ。
悲しいことだけど、私は同情はしない。
本人も思っているだろう。「同情するなら、仕事を寄越せ!」と。
本当は、テレビはこう言った普遍的な人間模様を淡々と映し出しててほしい。
どんな場合でも、どんな時代でも、こういう存在はあるのだと伝えてほしい。
何も失業率5%の、今だけの特異現象ではないだろう。
マスコミはこの事実を視聴者が先入観なく見れるようにすべきだ。
これが事実です。でも、それは普遍的な現象でもあるのです、と。
幽霊の恐怖と似ているような気もする。
幽霊がいるのかどうか私は知らない。
でも、幽霊を見たと言う人がテレビにしゃしゃり出て、その恐怖を見るものに訴える。
見るものは、心の中の恐怖感を思いっきり、語り部の言葉に共振させる。
キャー!だとか、オッソロシーとかの、とってつけた叫びとともに。
毎年、夏になるとテレビはこんな特集ばっかり。
幽霊でも宇宙人でもUFOでも構造はみんな一緒だ。
まともな判断力を持っているものにとっては、漫画みたいなエピソードばっかり。
馬鹿馬鹿しいことだ。脳が勝手に反応しているだけなのだ。
それがどうした、と自分の脳に言ってやれ。
幽霊がいようと宇宙人がいようとUFOが飛んでいようと、脳よ、お前に何の関係がある?
失業もそうだと、さっき言った。
失業は事実だから、それには冷静に対処すればいい。
確かに不幸だが、誰もあなたを殺したりはしない。
勝手に、あんたの脳が恐怖感とか不安感とかを演出しているようだが、だから、それがどうしたと脳に問いかけてみるべきだ。
脳なんかに自分の人生を無茶苦茶にされてはいけない。
脳は脳なのだ。
自分のすべてではない。
脳なんか、たかがCPUの一つにすぎない。
そう思って、明日も頑張って生きよう。
人生至る所青山あり。人もまた自然の一部。ほっといても、環境がよければすくすく伸びるのだ。
環境にだけは注意しておいたほうがいい。私の言いたいのはとりあえずそれだけだ。
人もまた、自然の一部、雑草のように生きれれば充分の、安部邦雄