何か書こうとすると、どうしても同時テロと関連してしまいそう。
発言できるほどの状況ではないので、今回も業務連絡みたいな話になるがお許しを。
しかし、テレビでコメントする連中はある意味偉いなあと思う。
こんな情報が自由にとれない状況で、よくあれだけの分析ができるものだ。
嘘八百みたいな話も多いのではと思うが、とりあえずその勇気には感服する次第。
私には絶対無理なことだ。(きっとプロというのは、どの世界でもすごいと言うことなんですね。)
さて、フロムスリーのサイトで私が担当しているのが、「インターネット私見」と「安部邦雄全仕事」。
前者は、私の発行するメールマガジンのアーカイブ。
最新号は8/23発行の第19号だが、そろそろ20号を書かないといけないなあと思っているところ。
しかし、同時テロが気になって...。ま、これは言い訳。
今週も忙しそうなので、書けるかどうか自信がない。資料調べたり、全体の構想等も下書きしたりしないといけないので、その為の時間がないのだ。
意外とちゃんと書いているんですよ、これ。
後は、「安部邦雄全仕事」なのだけど、これは書こうと思えばいつでも書ける。
何しろ、単なる思い出話にすぎないと言われればその通りで、作業的には昔の記憶を引っぱり出すだけなのだ。
ただ、いつでも書けるというのは、えてしてなかなか書かないものというわけなのですね。
家来の一人は、こういう実際の仕事の話を教訓と共に書くのはとても重要だ、と私を鼓舞するようなことを言う。
その通りだろうな。
本当は、私達のような立場の者は、後世の為に、自分のした仕事の内容をデータベースとして残す義務があるのではと思うのだ。
自分が一体、社会に出てどんな仕事をしてきたのか、それを仕事のカテゴリー毎にまとめ、データベースとして構築する。
失敗も成功もすべて書く。
後から来るものには、絶対便利なDBになるはずだ。
政治家とか実業家が自分の人生をよく本にまとめたりしているが、それ以外の分野の人はなかなかそういった自分の仕事をデータとして残さない。
残すほどの者ではなかったのかもしれないが、一度まとめてみてほしいと私は思う。
とりあえず、隗より始めよで、私は「安部邦雄全仕事」を書いている。
40を過ぎた人は、是非自分のしてきた仕事を「全仕事」という形でデータベースにすることをお勧めする。
今の自分の位置が再認識できて有意義だと思うのだが。
さて、私の全仕事は、まだ1970年代までしか書けていない。
80年代、90年代と、書きとどめておこうと思うことが一杯ある。
私の場合、ディレクターだったりプロデューサーだったりしたから、仕事の内容を思い出すのはあまり難しくない。
担当していた番組を拾っていけば、それだけで、時間軸で並んでいるし、登場人物も有名な人が多いから、インターネットで探せば何らかの手がかりも引っ掛かって来る。
やはり、客観的な資料が外部に残っているので、私の場合は大変やりやすい作業である。(FM雑誌のバックナンバーだけでも、情報は相当ピックアップできる)
普通の人は、なかなかこうはいかないだろうから、全仕事をまとめるのは大変だろうなあと思う。
何度も言って恐縮だが、私は80年から84年まで、放送局の営業マンをやっていた。
広告代理店に行ったり、スポンサーを訪問したり、外勤マンとして、毎日外を飛び歩いていた。
惜しむらくは、この頃の情報がデータとして弱いのだ。
資料としては、私の書いていた日報(邪魔くさいので書くのをほとんどさぼっていた)とか、当時の営業会議のメモぐらいしか残っていない。
営業時代は番外編ぐらいでしかとりあげるつもりはないにしても、私としてはプロデューサーとしての今の自分を作る為の大切な時間だったと思っている。
可能な限り、当時の仕事内容を報告するつもりだが、記憶のあいまいな部分が多いので、少し躊躇している所である。
ま、その前に早く続きを書かないといけない。
そうですね、今週はとりあえず、小林克也さんの番組だけはアップしようかな。
これも色々とエピソードがあるのだが、近頃克也さんとは全くお会いしていないので、どこまで書いたらいいのか気になるところではあるのですが。
そういうことで、時間がまいりました。このあたりで今日の更新を終了させていただきます。火の取扱いには十分注意して、ごゆっくりおやすみ下さい。エヌエッチケー。
音の専門メーカー、オンキョーがお送りした、FM大阪ニュースを終わります、安部邦雄がお伝えしました