テロ事件の話ばかりで恐縮です。
今は、ちょっと他のことが書けるような精神状況じゃないもので。
何しろ、毎日マスコミはとんでもないニュースばかり流しすぎる。
「核兵器使用決定!」なんて見出しはないんじゃないの?
それでも日本のマスコミの言うことか!
「アラブのテロリスト、日本上陸!」なんてのもひどすぎる。
裏とりなしか!それでもジャーナリストか!
スポーツ紙だからといって、確認もしないでよくこんなセンセーショナルな見出しが書けるものだ。
結局、書いたもの勝ちなわけ?
ただ、ネットの掲示板とか意見欄には、冷静な判断が多いので少し安心している。
テロ行為の撲滅は大賛成だが、アメリカの行動には懐疑的というのが主流のようだ。
それこそ健全な世論だ。日本人も捨てたものではない。
私もテロリズムを心から憎むひとりだ。
ただ、憎むからといって、それが簡単に撲滅できる等というおめでたい考えは持っていない。
畠山みどりの歌風にいうと「テロは神代の昔から」なのである。
人類の歴史とともにあるのではと思ってしまうのだ。
その一つが、司馬遷の「史記」に書かれた「刺客列伝」。
刺客=テロリストである。
みんな紀元前の話。中国3000年の歴史である。
5人のテロリストがこの中で描かれている。
一番有名なのは、やはり荊軻だろうか。
秦の始皇帝を暗殺しようとした人物。
「風は蕭々として易水寒し
壮士ひとたび去って復た還らず...」
この詩は有名だろう。
テロリストが現地に赴く時の境地として、この言葉ほど心にせまるものはない。
史記の話は又の機会にゆっくり書きたい。
なにしろ、高校時代「漢文」の時間に習った「項羽と劉邦」の場面に痛く心を揺さぶられ、図書館で史記全巻を少しずつ借り出しながら読破した経験があるのだ。
その時の感動をまとめようと思いながら、既に30年以上が過ぎている。
どんどん忘れていく。せっかく一所懸命読んだのに。
刺客というと、殺し屋と思われるかもしれないけど、思いつめたあげく当時の権力者を襲うのが、史記の中の刺客である。
そこらへんのチンピラではない。
間違わないで下さいね。
それを正しいと思いつめ、やむにやまれず行うのがテロだとしたら、一概にテロを全否定するわけにもいかないかもしれない、そんな気になりません?
日本人が、神風特攻隊の戦士たちを戦争の犠牲者として、今も大切に思うのは、彼等の純粋な殉国の心ゆえだろう。
今回のテロ集団も、純粋な殉教精神ゆえだとしたら、一概に否定もできないのだろうか。
彼等をそういう状況に追い込んだものを<悪>とするしかないのかもしれない。
それは、太平洋戦争で断罪された戦犯を<悪>として認定するしかなかったように。
やっぱり靖国に戦犯を祭るのはおかしくないだろうか。
それでなければ、靖国は今回の同時テロを容認することになりはしないか。
それとも、日本は別だと私達は言うのだろうか。
何か、日本の行為は侵略ではなかったなどと言いかねない「作る会」の連中までも、テロリスト連中の仲間のように思えてくるのは私だけだろうか。
やっぱり、この件について判断するのはまだ無理だ。もう少し時間がたってからにしよう。
とにかく、ふと思い出した史記の「刺客列伝」のことを書いてみた。
皆さんの意見もよければ聞かせて下さい。
浅沼稲次郎氏を暗殺した山口乙矢を評価する人がいる世の中、テロ撲滅と言ってもねえ、安部邦雄