浅田次郎の「きんぴか」に「無欲捨身の正義が私欲保身の権力によって葬られる」という表現があった。
これは私にもよくわかる。
私もどちらかというと「無欲捨身の正義」の信奉者で、既に何度か「私欲保身の権力」に裏切られている。
サラリーマンの世界なんか、まさにそれだった。
自分の損得さえ考えていれば、そんなにやばいことにはならない。
むしろ、自分を捨てて万民の利益を優先するようになったら、間違いなく組織から白眼視され、結局捨てられるという運命が待っているだろう。
全方位の努力は、権力には歓迎されないということだ。
会社員としての個人の利益を追求すれば、おのずと組織の利益につながるというのが会社の論理ということかもしれない。
先日何とか「竜馬がゆく」を読み終わったのだが、坂本竜馬もまた、無欲捨身の正義を掲げ、私欲保身の権力によって葬られた1人だったのではないだろうか。
たとえ後に、時代を変えた風雲児と賞賛されたとしてもだ。
竜馬のことは、これからも時々この欄で取り上げるかもしれない。
読み返しながら色々考えてみたいことがある。
世に生を受くるは、事を成すためにあり。
その「事」が見えにくい為、人は悩みそして人生を諦めるのかもしれない。
ところで司馬遼太郎さんて、作品内で矛盾したことを書いていても気にしない人なのだろうか、竜馬は人前に裸を見せないと書きながら、あちこちで素っ裸になっているのはどういうわけ?安部邦雄