この季節になると、何がなんでも食べたくなるのが松茸。
関東では、これをマツタケと発音するが、関西ではもっぱらマッタケと読む。
もちろん私もこちらの方が松茸のイメージに合うと勝手に思っているので、ほとんどマツタケとは呼ばない。
近頃は東京に慣れてきたのか、油断するとマツタケと言ったりすることもあるが、心の奥で激しく恥じている。
大阪マンセー!
関西人はツとかシの音がどうも苦手なようだ。
七はシチではなくて、ヒチ。質屋もヒチヤである。
私の実家はヒチ京屋という屋号である。
京屋というのは、昔からピンと来ずで、店をたたんだ今も、愛着はまるでない。
早乙女主水之介(旗本退屈男)が映画の中でしきりに「キョーヤ、キョーヤ」と呼ぶのがいつも引っ掛かっていた。
この場合のキョーヤは退屈男の小姓、霧島京弥のことなのだが、子供の頃は何かうちの店を呼ばれているような気がしてちょっとイヤだったのだ。
霧島京弥なんて言っても、今の人は知らないよな。
松茸の話に戻る。
昔は松茸なんか家が貧乏でもしこたま食べられた憶えがある。
おそらく、誰かの山からのお裾分けだったのだろう。
段ボール箱に入った松茸を見ながら、ああ、もう秋なんだなあとよく思った。
おそらく栗と松茸は同じぐらいの価値だったのではないだろうか。
今は、松茸>>>栗ではあるが。
大阪時代、同僚と死ぬほど松茸を食おう会というのを企画したことがある。
後輩に丹波篠山出身がおり、篠山まで松茸を買い出しに行ったのだ。
ある店で、松茸が炭の袋のようなものに一杯詰め込まれているのを発見。
笠の開いたものばかりだったが、2万円程度で売ってくれた。
これを同僚の部屋に一日保管し、次の日にみんなを招いて盛大に松茸パーティを開くのだが、同僚は松茸の量が多過ぎたのか、一晩中あまりの匂いに眠られなかったと言っていた。
確かに、次の日に彼の部屋を訪れた時、異様な松茸の匂いがして、思わず中に入るのをためらったほどだ。
とにかく、しばらくは松茸を見るのもイヤになるほど、その日は松茸尽くしだった。
こんなもの、そんなに食べれるものじゃないなと出席者一同納得した次第。
そういうわけで、良い子の皆さんは絶対にまねしないようにね。
今日、覗いた店で国産の松茸は6本で4万円ぐらいしていた。
タッカー!(高いという意味です。)
9月に松茸の初物は既にいただいたのだが、この時は匂いもなく、味もなくで、正直がっかりしたものだ。
今度こそ、香り豊かな松茸と思ったのだが、この値段じゃ買うのはちょっと。
昔は、高いものと言えば、数の子というのが相場だった。黄色いダイヤと呼んでいたのだが、今はだれでも買えるような値段に落ち着いている。
バナナも死ぬほど高い食い物だったが、こちらも今や下手すればゴミ同様の扱いを受けかねない。
松茸もそのうち、猫もまたいで通るような食物になるかもしれない。
私が生きているうちにそうなるだろうか?
ああ、天高く 松茸高い 秋の暮れ
ま、今日はそういうことで。
そろそろフグもよろしおますな、安部邦雄