コインランドリーというのを一度も使ったことがない。
東京に出て来て13年、ずっと一人暮らしだが、洗濯はもっぱら家の洗濯機。
何かの拍子で、コインランドリーを使わないといけなくなったらどうしようと、時々思ったりする。
そう言えばコインシャワーというのも使ったことがない。(見たこともないと言った方が正確かも。どこにあるのだろう?)
車のコイン洗車場も同じ。一度は使ってみたいとは思うのだが、近くにないのがとても残念。
ところで最近気づいたことなのだが、東京の銭湯にはたいていこのコインランドリーが併設されているようだ。
着替えた衣服を洗って帰れということなのだろうか、それとも風呂に入っている時間を利用して洗濯しろということなのか。
自分の身体を洗うのも衣服を洗うのも一緒でしょ、なら、ついでにやっといたら。
そういうメッセージなのだろうか?
実は、私が利用していた大阪の銭湯にはどこもコインランドリーは併設されていなかった。
だから余計に奇異に思えるのかもしれない。
下宿している学生さんとか、夜の仕事に従事している人には便利なのだろう。
ただ、コインランドリーで洗濯している人って、普段あまり見かけないのだが、あれで商売はうまく行っているのだろうか。
正直、私にはよくわかりません。(コインランドリー体験記なんて誰か私のところに送って貰えませんかね?)
ところで、コインランドリーというと、青春映画のひとこまとか、ロマンポルノとかを思い出すのだが、音楽としては、何と言っても「コインランドリー・ブルース」が忘れられない。
柳ジョージの20年前のヒット曲。作ったのは、マッスンこと増田俊郎君。
この人、人間はナイーブなわりにはちゃらんぽらん。詩人的に言うとランボー(怒りのアフガンのオッサンとちゃうで)タイプだと私は思う。
俺達はただの魚さ 川の流れまでは変えられない
このフレーズがとても心にジンとくる。
魚が川の流れを変えようと努力しても、そんな力は魚には元来備わってはいない。
自分の人生を振り返っても、この言葉の持つメッセージ性が感性にびんびん伝わってくる。
それでも、おれたちは変えられない流れに逆らい、我と我が身を無駄に浪費させるしかない。
他にどんな生き方がおれたちに残っていると言うのか?
増田君の「グッバイ・ブラザー」にも好きなフレーズがあるし、昨年自分のバージョンでCD化した「フェンスの向こうのアメリカ」も最高だ。
実際の彼の生きざまと詩のフレーズとのズレ方にいつも驚かされるだが、そこがまたいい。
まもなく彼も50代だろうけど、近ごろはどんな詩を書いているのだろうか?
ちょっと時間が出来、お金も出来たら、「コインランドリー・ブルース」を映画化したいと思っている。
その時が一日も早く訪れるようにと、毎日願っている私である。
くさってもプロデューサーなんですよ、安部邦雄