さて、風邪で声が出ないsegawaxを受けての今日の原稿ですが、とにかく簡単に反論から始めますか。
>チープ -> ゴージャス、というベクトルで広告費の
>シフトを考えてよいものか。
>マス・マーケティング -> One to One マーケティン
>グ、というのがネットの特性を生かした、広告形態
>シフトの変化ではなかったっけ?
ゴージャスというのは、チープの反対語として書いた。
本当はリッチの方がいいかもとは思ったが、リッチの反対語はプアだから不採用にした。
ゴージャスというと、叶姉妹を連想させたり、沢田亜矢子の亭主を思い出させるので、あまり使いたくはなかったが、とりあえず、チープといえばゴージャスだろうから、許されたし。
さて、チープからゴージャスへシフトするみたいにsegawaxは書いているけど、それは読み間違い。
今のバナー広告はチープメディアでしかないと言っているわけで、その対極にあるのが、東京や大阪等の都会派テレビ。
(地方局や、テレビ神奈川などの大都市型広域U局はゴージャスとは呼びにくい)
つまり、インターネットは広告界にとってチープメディアであり、チープなものに広告費がシフトすること等あり得ないとしているのだ。
で、インターネットもチープメディアからゴージャスメディアに如何に脱皮するかが鍵だと私は思っているのだ。
でも、ゴージャスと言う言葉はやめようかな。
おしゃれメディア、それともカワイイ?メディア。
見ただけで、垢抜けしているとか、カッコいいとか、めっちゃ可愛いやん、とか言われるメディアにならないと広告費はシフトしないよというわけだ。
例えば、Yahoo!のバナーで最近専らYahoo!BBの広告が目についたが、あれってウザくなかっただろうか?
言いたいことはわかるが、私は「もうええよ。」という気分だった。
それと無料でホームページを開設できるナンタラcityとかいうのも、バナー見る度に鬱陶しくなる。
無料で貸してやってるんだから、我慢して見んかい!というメッセージが聞こえてくる。
でも、この叫び、同じ構造の民放テレビからは聞こえて来ない。
コマーシャルも慣れればそれほど苦にならないし、ザッピングという逃げ方もある。
ユーザーに選択権があるのだ。
バナーにはそれがない。
カットをするソフトも開発されているようだが、そういうソフトができれば、今度は簡単にカットできないバナーを考えつくだろう。
作り手側の論理から受け手側は逃れられない。(お宅っぽい人は、それでも丁々発止に喜びを見い出すだろうが。)
広告をただ押しつけているだけのインターネット広告。
チープと言わずして何と言おうか。
で、送り手側に問いたい。
ソリューションはあるのか。
ユーザーに選択権を与えなくてよいのか。
選択権のある、バナー広告。それこそゴージャスへの一歩ではないのか。
お!マス・マーケティング -> One to One マーケティングの図式が見えてきたではないか。
テレビには選択権があるのに、インターネットにはない!
これで広告費がシフトするわけはないのだ。
チープメディアからゴージャスメディアへのシフトは供給者側がユーザーのニーズにどれだけ対応できるかにかかっている。
バナー広告はうざったい!
私はそう思う。segawaxはどうだ?
金かけたゴージャスサイトというのはだから読み間違い。
だいたい、ゴージャスに金かけたなどという意味はない。(結果的に金はかかったとしても)
>ところで、音楽をメインにしたインターネット
>ラジオの場合、どこに広告費がつくのだろう。
>リスナー? プレイリスト作成者? 楽曲?
>ラジオ供給システム?
究極的には、インタラクティブな関係を供給者とユーザーの間に作り出すわけだから、広告費は双方に分配されると考えられる。
ただ、一方的に受益者(リスナー)でありつづける間は、分配される要件が満たされないため、もらえるはずがない。
やはり、何らかの情報発信者でなければ、配当はないことになる。
言い換えれば、情報の発信内容(及びその結果)に応じて分配されるべき、ということか。
情報の発信内容(及びその結果)=プレイリスト作成者 楽曲 ラジオ供給システム うーん、ちょっとこの論は誤解されるかな。
自分の情報を与えることが、そのままマネーに変わるという世界を考えよう。
この情報に色々なものをあてはめればいいのだ。
個人情報を金に変える人もいるだろう。(ただし、売血と同じ行為になるかもしれないが)
自分の作品をインターネットを通じて金に変える人もいる。
それが広告費という名目かどうかは今はわからないが。
で、ここで一つ気がつく。
広告費というのは、インターネット時代においてはどんな意味があるのか?と。
IT革命の本質は、情報取引コストの劇的な低減である。
そうでしたよね?
ということは、広告費も又情報取引コストなわけだから、劇的な低減は避けられないわけですね。
つまり過渡的には広告費のシフトは起こるかもしれないが、どのみち消えてしまうということなのではないかと。
だから、広告費の分配なんか、最終的には意味がないということになりそうな予感がし始めているのだか、いかがだろうか?
話がずれているかもしれないが、わかる範囲でsegawax、直しといてくれる?
今日は疲れたので、校正はしません。文章の間違いは許してください、安部邦雄