私の育った町は千林というところである。
正確には大阪市旭区北清水町(現在は清水3丁目)、京阪電車千林駅から歩いて5分の住宅街。
千林には千林商店街がある。東住吉区の駒川商店街と並び称される安売りで有名だった商店街だ。
ここにあの「ダイエー(当時は主婦の店大栄)」第一号店ができた。
私は小学生だったが、菓子類を定価販売しないということに新鮮な驚きがあった。
元々は薬の安売り店だったが、しばらくするうちに店頭に山積みの菓子類が置かれるようになった。
子供には刺激的な光景である。
万引し放題なんてことを言っていた友人もいたから、相当の被害もあったのだろうと思う。
私も何度も誘われた。しかし、良心がぐっとその行為をとめたのは言うまでもない。(ホント?)
その後、ニチイ(当初赤のれん、現マイカル)、泉屋(現イズミヤ)、長崎屋と千林にスーパー・マーケットが4つもできた。
高度成長の頃だった。千林商店街は大賑わいで、京阪沿線から続々と買い物客がやってきた。
日曜日などは、満足に歩けないほどの人、人、人。
当時の商店はさぞもうかったことであろう。(あれだけ人が来れば、少々安く売っても利益が出るのはあたりまえだったはず。)
あれから30年あまり、今の千林には当時の喧騒はない。
客は、郊外の大型ショッピングセンターに逃げ、今は地元の人間以外はわざわざやってこない。(商圏の縮小化というらしい。)
マイカルも長崎屋も会社は倒産したし、イズミヤは上新電機に変わった。ダイエーはトポスと名を変え、細々と営業中。
他に量販店のミドリ電化も一時期存在していたが、今はもう撤退してない。
増えたのは、携帯電話ショップ。
ざっと6?7店はある。
これでも商売になっているというから、どんな収益構造しているのかと思ってしまう。
たこ焼き屋も増えた。ますます大阪はメリケン粉文化に純化しつつある。
でも、おいしいから私自身は大歓迎。
奥に入ってビール飲みながらたこ焼きつまむ。
めっちゃ幸せ。大阪人は少ないお金で簡単に幸せをつかむことができる。
時代遅れになるのはしかたないかもね。
実家に前にあった清水会館がなくなって2年になる。
元は清水小学校の分校があった。
私は小学校2年まで通っていた。
目と鼻の先の学校はとても便利だった。忘れ物をしてもすぐに帰れる。遅刻などありえなかった。
本校は子供の足で歩いて5分程度のところにあった。
ベビーブームの頃の特異な現象だったのだろう。(まもなく分校は廃止。図書室のある会館に変わった。)
広い敷地は桜で一杯だった。
色とりどりの花が咲いていた。
選挙の会場もいつもここだった。
今は整地して草ぼうぼうの荒地。何か立つらしいのだが、まだ工事は始まっていない。
長屋のように立っていた家もどんどん壊されて駐車場に。
住人は年老いて亡くなり、子供はいずこかへ去っていった。
変わりゆく町、変わりゆく故里。
ま、私もここを離れて13年。いえた義理ではない。
あ、いかん日が変わる。今日はこれまで。
しまった、やっぱり日が変わってしまった、安部邦雄