昨日は、光の詩情に終止してしまい、イデーの域に迄達しなかったようで少し反省しております。
名誉ばん回(汚名返上)ということで、今日は光についての考察を。
光というと、私達は太陽をすぐに思い出すでしょう。
太陽は光(つまり明るさ)と熱を私達に送ってきます。
それなくして私達は誰も生きては行けません。
しかし、それが過剰にあってもやはり生きて行けないのは御承知のとおりです。
太陽の光をマトモに受ければ私達の目はつぶれてしまいます。
熱もマトモに受ければ、私達の細胞は死んでしまいます。
恩恵は受けていますが、それは常に死と隣り合わせであることがおわかりでしょう。
それに比べれば月の光はただ私達に優しいだけです。
月は私達に生きていく為の光も熱も送って来てはくれません。
それでも月の光は私達の心をとても和やかにしてくれます。
満月の夜の、月の光がさす時にできる影はとても妖しいものです。
町並みもおぼろになって、違った世界に私達を誘います。
月の効用は、私達だけではなく、海に住む生き物たちにも様々に与えられています。
大潮と満月の夜の、珊瑚の産卵の不思議さ。
それは、もちろん月の引力も関係しているのかもしれませんが、その妖艶な光の作用ということもできるのではないかと思ったりします。
こんな例は枚挙にいとまがありません。
私達の生体リズムも、月の周期と関係があることは御案内のとおりです。
太陽はほぼ24時間周期ですが、月は25時間周期。
だから、人間は1時間ずつ生体時間と太陽時間がずれるといいます。
夜更かしをするのは、その為なのだとか。
早く起きるのは辛いが、遅く起きるのは別に苦ではないという理由もそこにあるのでしょう。(不精だから、寝起きが悪いというのは必ずしも正しくないんですね。)
昨日のライトアップというのも、私達の月への憧れと関係あるのかもしれません。
人は、明るい所に寄ってくる。それも月の明るさに近い所に。
幻惑されたいのかもしれませんね。月の光の洪水に。
光の話はまだまだ書き足りませんが、今日はこれぐらいで置いておきます。
このテーマも近頃意識するようになったばかり、入り口の前で考えはじめているといった所でしょうか。
いぎ棹させよや 窮理の船に、安部邦雄