11月もいよいよ終盤になってきました。
まもなく12月。
師走です。教師も走るほど忙しい師走です。
変な表現ですが、一年に一度この季節になると思い出す言葉です。
他に、「暮れもいよいよ押しつまってまいりました。」というのもあります。
切迫感があって、じっとしてはおられないような気分にさせられますね。
大晦日。そば屋さんはお客さんの応対に大わらわ。お店の人はあまりの忙しさに嬉しい悲鳴をあげていました。
嬉しい悲鳴ってどんな悲鳴?聞いたことある?
飛ぶように売れる正月用品に商売人も「ほくほく顔」。
どんな顔なのでしょう。上気してニコニコしている顔なのですかね。
芸人さんに是非「ほくほく顔で嬉しい悲鳴をあげる人」を演じてほしいですね。
興味津々です、私。
大釜で炊いた大根が参拝者にふるまわれ、押すな押すなの大にぎわい。無病息災を祈りながら人々は舌鼓を打っていました。
何か慣用句が大にぎわいですね。
ニュース原稿ってこういう決まりきった言い方が多いです。
鍋物の恋しい季節がやってきました、というのもよく使います。
これは何か暖かいものを感じて、まだそれほど抵抗がありません。
むしろ、押すな押すなの大にぎわいというのは、できれば使用頻度は下げてほしいかな。
舌鼓というのも、鼓がそろそろイメージができなくなりつつあるような。
我先にと、拝殿へまっしぐら。参拝者は思い思いに赤く色づいた紅葉を背景に写真をとりあって自然を満喫していました。
こういう表現でお茶を濁す、ニュース原稿にもげんなり。(お、これも慣用句)
よく思うんですが、季節もののニュース原稿なんか、毎年同じものを使ってもだれも気づかないのでは。
ちょっとはひねればいいのにね。
季節とは直接関係ないかもしれませんが、選挙の時はすぐに「まだまだ予断を許さない」なんて言葉を多用するし、保守系の政治家が反対を許さない時に使いたがるのが「司々」とか「粛々と」なんて表現。
カッコイイと思っているのだろうが、私はこういう冷静を装う美辞麗句が大嫌いだ。
政治家が使う「きっちりと」も不快な言葉。
何が、きっちりだ。
何やねん、きっちりて。
仕事きっちり!てか。お前はサカイのまわし者か!?
本当に政治家ってこの言葉よく使いますよ。党派越えて。
こんなアイマイな言葉ないと思うんです。
まだ、「ちゃっちゃっと」の方が好きですね、私。
季節の慣用句ってまだまだあります。
水の季節を待切れないギャルが、思いっきり水しぶきをあげながら海開きを祝っていました。
そんなこと誰も思ってないって。昔ならいざ知らず、今なら南の島へ行けばいくらでも泳げるでしょ。
でも、こういう慣用句だらけのニュース原稿が通用していた時代は、とてものどかで人は平和だったかもしれませんね。
毎年、同じことを繰り返しながら少しずつ人は老いていく。
アフガニスタンではこうはいかないでしょうね。
平和のありがたみ、それは季節の慣用句にはっきりとあらわれるのかもしれません。
進め一億火の玉だ、ほしがりません勝つ迄は、などという表現よりはずっといい。
犯人は悪びれもせず、出された朝食をペロリと平らげ、何がアバやねん、誰がカバやねんと怪気炎をあげていました。
あ、これは昔私が書いた特番原稿の一部です。上柴はん、覚えてはりまっか?
又ニュースを読む夢を見てしまった安部邦雄、いつもボロボロになるのは何故?