「赤い不死鳥」が今苦しんでいます。
といっても、アメフトに興味のない人には何のことかわからないですかね。
8日(土)に、関東大学一部リーグの入替え戦が行われ、かっての常勝軍団「日大フェニックス」が辛うじて二部転落を免れたのです。
あの、日大フェニックスですよ。レッド・フェニックスですよ、鬼の篠竹監督率いる。
それが、今や関東大学リーグAブロック6位。
部員たった38人。
日大の系列校からもほとんど新人が入って来なくなったとか。
哀れなり、強剛日大フェニックス。
哀れなり、頑固親父のワンマン監督、篠竹幹夫。
弱体した動機はよく知らない。多分、篠竹監督が身体の調子を落としてからだろう。
豊臣秀吉も武田信玄も病気には勝てないということですね。
私が日大のとんでもない強さを実感したのは、京都大学が初めて関学に勝ち、甲子園ボウルに出場した時です。
日大はお家芸のショットガン・フォーメーション。
西の雄、京大ギャングスターズは手も足も出ない。
全然、オフェンスをつかめないのです。
パスは縦横無尽にレシーバーの手の中へ。
「ショットガンの恐ろしさを見せつけてやる!」
篠竹監督の鬼のような形相は今も忘れることができません。
しかし、京大もさるもの。
水野監督の下に富山高岡高校出身の東海辰弥QBが加入。
恐ろしいばかりのオプション・プレーで日大フェニックスの鉄壁のディフェンスを突破。
日大の威力に無力感に襲われていた私が、まるで滝のぼりの鯉のように何度もジャンプした。
「行け!いてもたれ!赤いジャージをぼろぼろにしたれ!」
京大、完勝!
何が、フェニックスじゃ!何がショットガンじゃ。
なまくら銃めが!
はて?私は何を興奮しているのでしょ?
そんな日大だったんですよ。
関学ファイターズだって、ぼろぼろになったんですから。
当時、まだ日大の学生だった小谷美加子が、甲子園ボウルの中継のゲストにやってきて、最初から最後まで「いけいけ!やったー!」とテンション上げておりました。
体育会系、小谷美加子の真骨頂が出ていましたね。
でも、正直私はその変わり様にびっくりでしたが。
日大フェニックスは映画にもなっています。
平成2年だったですかね。
日大の100周年記念で作られた「マイ・フェニックス」がそれです。
主役は富田靖子。カメラマンで後にマネージャーになったはずです。
篠竹監督役に菅原文太。選手役で宍戸開も出ていたかな。
日大フェニックスは一日にしてならず、という映画でした。
そりゃ、あれだけのタレントにあれだけの練習をさせれば強くなるわな、と感心したものです。
とはいえ、映画自体は、正直言ってあまりいいできとはいえなかったですね。
私は上京2年目で、観光がてらに浅草へ。ついでに見た映画が「マイ・フェニックス」でした。
客席は私を入れて3人。
ガラーン。
東宝映画が泣きますね。
チケットは日大OBに相当数押しつけたと後で聞いたのですが、OBすら結局は見に来なかったみたいでした。
この映画館はその年にもう一回行きました。
「ゴジラ対ビオランテ」だったですね。
広くて空いておりました。とても快適・・・ではいけないのだろうけど。
その日大フェニックスがですよ!
入れ替え戦?部員38人!(登録は45人なんですからね)
東大だって、100人ぐらい部員がいるんですよ。
どうなってんだろう。
ああ、今日もまた無駄に長い更新になった。
でも、やっぱり、赤い軍団、日大フェニックスは強くあってほしい。
法政トマホークスじゃ、とても今年の西の覇者、関西学院には勝てそうにない。
もう一度、不死鳥になって蘇れ、日大。
飛べ、フェニックス。再びショットガンを甲子園に炸裂させろ!
日大、マンセー!
強い時は大嫌いだったのに、この変わり様は何だろう、安部邦雄