「男もすなる、日記といふものを、女もしてみむとて、するなり」、御存じ紀貫之の「土佐日記」の冒頭です。
平安時代にはいろんなものが流行りましたが、日記と言うものもそのひとつでしょう。
そもそも日記というものは・・・、え?タイトルと違う?平安時代じゃなくて、平成時代?
平成時代ねえ?そんな言い方、将来するのかなあ。
ま、そういうことで平成時代の展望をひとくさり。
私が東京に赴任してきたのが、ちょうど平成元年の2月でした。
雪の降る関ヶ原を越え、早朝荒川を越えて、江戸川区葛西に到着。
悲しい江戸屋敷の生活が始まりました。
荒川のほとりで、一人でぼーとしていると、漁師舟が一艘もやっていて、そこにいた人に目の前を飛びかう鳥の名前を聞きました。
「あれなむ、都鳥」
ああ、はるばるも来つるものかな。
なにしおわば いざこととわん みやこどり・・・
って、これは伊勢物語やん。
だいいち、あれは隅田川、ここは荒川じゃ!
いかん、どうしても平安時代の話になる。
つまりですね、言いたいことは私の東京生活は平成元年に始まったわけで、その時と今で一番変わったことは何かなと思ったわけです。
絶対違うのは、携帯電話ですね。
平成2年か3年ごろに、ある制作会社の人が携帯電話を持っていました。
重さ2?3キロぐらいありましたね。
持っているのがステイタスみたいなもの。
私はそこそこ裕福でしたが、少しも欲しいとおもわなかったです。
ケーブルテレビの普及も上げられます。
平成3年に、私の入っているマンションにひかれました。
もちろん、今と違ってVとUのチャンネルしかありません。
後、地元情報のチャンネルが一つ。
アナログのCSテレビもまだありませんでした。
これらは平成4年ぐらいからでしたかね。
CATV向けに放送していたチャンネルは平成元年ぐらいにはあったという話も聞きましたが。
このあたりは記憶が少々曖昧ですが。
前にも書きましたが、日本にインターネットのプロバイダが出来たのが、平成4年です。
インターネットはまさしく、平成時代の産物といえるでしょう。
何度も言いますが、これは凄いことです。
なにしろ、百科事典が必要でなくなりました。
夜中に、どうしても思い出せないことがあって、家にある辞書等で必死に調べるのだけど、どうもわからない。
それが、インターネットが普及してから、こういうストレスからほとんど解放されたのです。
あいまいな言葉で、適当に検索していたら、簡単に回答が引き出せます。
わからないことなんか、ほとんどない。
これは、本当にすごい。
2?3年前のテレビで、「池袋のある喫茶店で働いている、ちょっと可愛い女の子の名前は何でしょう?その子は○○県出身で、大学は××。」という問題が出ていました。
これをネットを使って答えるのです。
いわゆるネットオタク達が回答者。
喫茶店の名前もわからず、池袋で働いている名前の女の子をネットでだけで探すなんて、そんなことができるのか?
しばらくして、あるオタクが見つけましたね。
名字も名前もあててしまいました。
どうやって探したのか。
そういう会話をやっているチャットを探しに言ったそうです。
もちろん、2chなど、その頃には存在しません。
とにかく、私は驚きの連続でした。
こりゃインターネットはただものじゃないぞ。
さて、その他に平成時代を語るもの。
PDA系は、平成になってからですね。
シャープのザウルスが発売されたのが、平成5年ぐらいだったかな。
システム手帳の電子化したものと言う位置付けだったですね。
システム手帳が大はやりだったので、その流れの延長に開発されたもののようです。
私はその当時のザウルスを今も愛用しております。
PDAなんていう感覚では全く使ってはおりませんでしたが。
あとMDですね。DATというのもありましたが、こちらは業務用の域を出なかったような。
もちろん、CD?Rもそうです。
放送用(つまり実用)にこのCD?Rを日本で最初に使ったのは、多分私達でしょう。
何しろ、当時CD?Rは珍しく、一枚2000円なんて値段がついていましたから。
さて、最初に世迷い事を書いた為に今回も又長くなってしまいました。
この続きは、又明日とさせていただきます。
segawaxも何か思い出したら、教えてね。
あ、上柴先生も。
ウォシュレット初体験も平成になってからですね、安部邦雄