大学で何を習ったかと言う話題から、最近は専ら教育論になっておりますが、ちょっと退屈かもしれませんね。
今日は教育哲学の話をと思ったのですが、もう少しやさしい話題にします。
でも、ほんの少しだけつきあってください。
大学の教育学科には色んな講座がありました。
私は教育心理学だったわけですが、他に教育哲学、教育社会学、教育方法学、教育制度学、教育史などがありました。
よく、教育学を習われたのだから学校の先生になるつもりだったのでしょ?と質問されます。
でも、それは違うことが、上の講座名で分かっていただけると思います。
学校の教育というよりも教育全体を学びます。
それは家庭内の教育だったり、会社内での教育だったりするわけで、何も学校だけが教育と言う概念を独占するわけではありません。
でも、大学で思ったんです。
教育で一番大事なのは哲学だって。
どこへ向かって人を教育するのか?
人は一体教育によってどう発展すべきなのか?
人は教育によって、どこまで変われるのか?
池田小での事件を思い出して下さい。
犯人は何故、あんな事件を起こしたのか?
彼は分裂病の既往症があると喧伝されていたが、それが原因であるとすると、彼は今後どう断罪されるべきか?
社会に復帰させるとしたら、彼にこれからどんな教育を行うべきなのか。
教育とは無益な行いである、という感想を聞いたりしますが、確かに制度的な教育で、病的な人格を変えることは今は出来そうにないですね。
さて、少し話題を変えます。
「荒れる教室現場」なんて、よく話題にされていますよね。
子供が、授業中集中しない。
徘徊したり、先生の指示に従わず、友だちとずっとしゃべっていたりする。
原因は何だと思いますか?
秩序に対するしつけができていないからとしましょう。
こういう時には、こういう態度をとるべきだという、Q&A的なしつけです。
Q:子供が授業を聞かないのです。どうしたらいいでしょう?
A:家で、子供は授業を聞くべきなのだと教えて下さい。みんなそうやって大人になったんだと。授業中は静かに先生の言うことを聞き、聞かれたら大きな返事をして答えるように言って下さい。ちゃんと答えられるように、家で勉強をさせて下さい。そうすれば、授業がとても面白くなるはずです。
これはこれで答えになっていますね。
しかし、これは結局学校だけでは子供の態度を変えられないと言っているようなものです。
つまり、家の中でのしつけがキーポイントになっていますね。
親からすると、個々の家庭内教育では限界があるので、その分を学校に委ねたいと思っているはずです。
学校という集団生活に入ることによって、社会生活そのものを学べるはずだと思っているわけです。
こういう時には、集団の中ではこうするのが正しい。
家と学校(集団生活)では、とるべき態度が違うのだということを教えてほしいと思っているはずです。
そうすると、さっきのAは全くずれたことを言っていますね。
集団生活を正しく行う為の基礎を家の中で作れと言っているのです。
では、集団生活とは何でしょうか?
それはひとことで言って、秩序です。
ヒエラルキーを伴う秩序です。
学校は社会の箱庭なのです。
昔と違って、家の中にはヒエラルキーはありません。
核家族だから仕方がないと言えばそれまでです。
だから、子供は家の中で秩序を学ぶことは難しいのです。
昔は、コミュニティが子供を鍛えました。
長幼の秩序も、社会生活での身の処し方も教えました。
今はそんなコミュニティは崩壊しています。
代わりに母親が秩序を教えています。
それは社会生活を大過なく行うには、どうしたらいいかばかりを教えます。
まず、勉強しなさい。
学校へ行ったらお利口にしていなさい。
なるだけ、皆と同じようにしていなさい。
変な目立ち方をしたら、損なだけですよ。
母親的教育自体が悪いとは思いません。
でも、子供は母親の思い通りに生きて行くと、たいてい悲劇的な結果になります。
社会生活へのしつけ、それが核家族の中で行われている以上、今の状況を変えることはできません。
教室は荒れていると言います。
いじめが横行し、とても理想的な集団生活等学べる場ではありません。
それは、大人社会の投影でもあります。
子供の学習の基本は模倣です。それが正しいとか間違っているとかではなく、とりあえず、親のマネから始まります。
子供達が荒れているとしたら、それは親達が荒れているのです。
学校だけで、子供達を変えること等、彼等を隔離しない限り無理です。
教育のデフレスパイラルに入っているのが、今の学校の現状です。
それぐらいの気概を持って、文部省(文部科学省)も学校の先生も対処しないとだめなのだと私は思っています。
経済を語る人と同じだけ、教育を語る人を作らないといけないと強く言いたい、安部邦雄