「安部さんは人の話を聞かない人ですね。」
不機嫌そうにある人が言った。
そこで、ふと思った。
そういえば、自分のことを喋ることに夢中になっていたかもしれないなあ。
その人は、自分のこれからのことについて話そうとしていた。
会社を辞めて、別の職業につくことにしたという。
それは大変な選択だったのだろう。
でも、私は一般論にそれを変えて、得意の社会分析へと話を誘導しようとした。
そんな話は聞きたくなかったのかもしれない。
?私は社会を語りたいのではない。
?自分の未来を語りたいのだ。
まるで学校での授業態度と同じかもしれない。
私は、ただ聞いていることが嫌いなのだ。
相手の話から、自分にとって財産になりそうなものを咀嚼することを優先する。
相手の話が面白くなりそうに思えなければ、話題の視点を少しずらしたり、違う観点から話を再構成したりする。
そうすると、相手は自分の本当に言いたいことがわからなくなってしまう。
私にとっては有意義な時間だが、相手にとっては全く無駄な時間を私相手に費やしてしまったことになる。
で、相手は諦めたように呟く。
「安部さんは人の話を聞かない人ですね。」
一般的に他人から好かれる人は、ほとんどが「聞き上手」である。
話し上手は芸人としてはいいかもしれない。
ワンマン経営者になるつもりなら、「人の話を聞かない」タイプでもいいだろう。
しかし、誰もが評価できる人となると、やはり「聞き上手」タイプである。
私だって、実際のところそうだ。
自分自身も、誰かに話したくて話したくてたまらない。
この更新欄も、実はこの「誰かに話したい」願望の現れである。
早い話、人間に余裕がないのかもしれない。
余裕のある人は、他の人の意見をよく聞くはずだ。
ほとんどの人は、言葉で自分を表現したがっている。
相手にそれを伝え、自分のいる場所を人の目を介して確認したがっている。
アイデンティティというのは、こういった日々の作業の中から生まれるものだ。
だから、人に自分を語りかける。
それが人間だ。
だから、聞き上手は、人のアイデンティティを確立させるための介助者である。
それゆえ、人は「聞き上手」をとても好ましい人と認識する。
勝手に演説ばかりする人は、たとえその内容が素晴らしいものであっても、付き合うのは少し遠慮したくなるはずだ。
私の周りにもそんな人は多い。
会議になったら一人で大きな声でしゃべっている。
相手の話はついででしか聞かない。
もちろん、聞いていないわけではない。
そういう人は頭のいい人が多いので、相手が何を話しているかは概ね理解している。
場を認識する能力も高い。
だけど、性格なのだろう、自分が納得するまで喋りつづける。
会議の半分は、その人の話。
出席者は思うだろう。
「まあ、いいか。話の邪魔して後で恨まれても損なだけだから。」
さて、今日は変な話になってしまった。
いったい何を言いたいのだろう?反省でもするつもりなのだろうか?
そう思われたのではないだろうか。
そうなのです、ちょっと迷っているのです。
私は本当に「人の話を聞かない人」なのだろうかと。
何かそんな気がしないでもない。ちょっとショック。
で、最後に皆さんに問いかけさせてください。
私って、本当に人の話をきいていませんか?
めざせ!聖徳太子、今年は絶対聞き上手になってやる?安部邦雄