さて、昨日の私の更新、自分でもなかなかセンセーショナルなことを書いたなあと思っております。
大丈夫かな?こんなこと書いて。
でも、心やさしき上柴とおる先生がメールを下さいました。
これ、私もとっても納得のお話です。
で、御本人の了解も得て全文転載します。
いつもどうもすみませんね。
* * * * * * * * *「自分は‘人の話を聞かない’人間なのではないか?」
安部社長は、今頃になって‘お悩み’のようですが、人の話を聞かないというよりも、相手の‘顔’を見ながら話しをしない、というところでっしゃろか?
『その人は、自分のこれからのことについて話そうとしていた。会社を辞めて、別の職業につくことにしたという。それは大変な選択だったのだろう。でも、私は一般論にそれを変えて、得意の社会分析へと話を誘導しようとした』
これやがな。
そのお方は個人的な範囲内での具体的な話を一緒にしたかったんでしょうね(安部社長も転職経験の持ち主やし)。
でも安部社長はそういうレベルだけの話では満足いかんのやね。
でも、誘導っちゅうたかて、そんな話を聞くつもりやなかったお方がついていくはずもおまへん。
それどころやないやろし。
‘評論家’の話はいりまへん。その場の空気っちゅうものがおますやろ?
わてでもそれはイライラする。「今、そんな話はええねん」って。
安部社長は、誰かが話しかけてきたら、それをネタに‘自分の時間’にしてしまいがちでんな。
どういう話を聞きたがってるか?
相手の顔を見ながら話を進めて行かなあきまへんわ。
たとえば、安部社長の「自論」(インターネット私見もしかり)は、なかなかに‘目ェ’がおますし、わてなんかはええヒントもろたりもさせてもろてます。
勉強になります。
しかしながら「自論を展開」して喜ばれるのは、相手がそれを待ってる(望んでる)場合であることは言うまでもありません。
その自論も、いっぺんに披瀝するのではなく、小出しにしつつ、「まだもうちょっと聞きたがってるかな?」と相手の顔を見ながら(相槌の打ち方からも推察でける)、進行させていかなあれでんな。
相手の理解能力も推し量りながらでないと。
専門書を見てるような人間でないとわからんようなことを聞かされるのはタイクツでしゃーない。
先日の「教育」の話もそうですな。教育を論じてもお金にゃ
ならんから...というのは全く同感でおますが、そういうレベルでの話はようわかるし、おもしろい。
けど、大学で習ったこととか、あのあたりの話になると、読む側に予備知識も何もなければ、感想を述べるも何も、まず、何がポイントなのかもわかれへんしね。
安部社長に「新聞記者」のような‘相手にしゃべらせる’ような職業は向いてまへんなあ。
ワイドショーのコメンテーターはいけるでしょうが、「朝生」はあかんと思いますわ。
以上、他のお方なら書きにくいであろうことなど、もろもろ、しっつれいしました!
これも友情の姫路、いや赤穂、やない明石(ちゃう証し)?。
2002.1.7
上柴とおる* * * * * * * * *ええとこ、ついてはります。
私、アナウンサーもどきの仕事をしていた手前、インタビューも本当はできなあかんかったんです。
でも、正直色々人の話を聞きながら「俺はあかん、向いてへん」と思ったものでした。
先輩アナは、本当にうまく相手の話を聞いています。
中味のないインタビューやなあ、と思いはしましたが、それでも相手の話を何の問題もなく引き出すテクニックには感心はしました。
私は、わかりもせんことをさもわかったようによう言うな、と心の底では思いながら、でも、俺には出来ん、やっぱり本物は違うと思ったものです。
これ、先輩アナを評価したことになるのかな?
明日もこの話を書いてみるつもりです。
私に一言忠告してやろう、と思われた方は以下までメールをいただければ幸いです。
今年も私は変わります。
でも、とおる先生、私は悩んでいるわけではなく、迷っているわけでして、悩むほどまだ考えが深まってはおらんように思います、安部邦雄