自分探しの旅が始まりました。
今回も上柴とおる先生のメッセージが寄せられましたので、転載させていただきます。
ちなみに、とおる先生もなかなかの聞き上手です。
* * * * * * * * *『昔から、「話し上手は聞き上手」という言葉がある、、、話し上手な人は、同時に聞き上手であってほしい、という一般的な願望にすぎないのではないか』
これはその通りやと思いまんな。話し上手=聞き上手とは限りませんしね。
『話し上手な人は、何も聞き上手である必要はないのではと私は思う』
しゃべることを生業としているお方はそれでもエエかと思います。巧みな話術さえあれば、でおますわ。
しかし、一般社会においては、そうも、いかん崎?。
『聞き上手の人はとても好ましい存在である。
私もそういう人を周りに10人ぐらい持ちたいものだ。
でも、その人たちは話し上手である必要はない。
聞いてくれるだけでいいのだ』
わてなんかは、話しをよく聞いてくれると同時に、意見を述べてくれるお方でないといやでんな。自分の「肥やし」にならへんし。しゃべりっ放しでは不安になってくる。自分に自信がないからやと思うけど。
わてはそういう雰囲気を作るように務めますな。
「ワシの話しを聞かせてやる」みたいな態度が少しでも前に出てるうちは、あとから人がついてきまへん。
『つまり、どちらにせよ、独りよがりではダメということだろう。自分の頭だけで話を作るのではなく、相手の顔を見ながら呼吸を合わせていくことが大事なのだ』
ピロシキ...やないジョーシキでんな。当たり前のことでおます。頭のええ安部社長が今頃何を言うてまんねん。
っていうか、物事を確認しながらあれしてはるみたいでんな?。
なんかここんとこちょっと‘弱気’になってまへんか?心配になってきた...。
わては、人と話しをしてるとき、自分を「出していいところ」と「出さなくてもいいところ」のバランスを考えますな。
自分を出しっぱなしにしてたら、相手の出る幕がおまへんな。相手さんにも‘出す場’を提供したげなアカン。これが‘気遣い’っちゅうもんでおますわ。
‘聞き上手’でんな。
安部社長は、この‘出さなくてもいいところ’でも、自分を出そうとしてしまうから、あれなんかなあ、とわては思います。
ちなみに、自分を「出すべきところ」&「出してはいけないところ」というニュアンスではないことを強調しておきまする。
あくまで「出していいところ」&「出さなくてもいいところ」、というあれでっさかいにね。
ま、‘場の空気を読む’っちゅうのが、これでんな。
2002.1.8
上柴とおる* * * * * * * * *そんなニュアンスを会社の先輩がよく言ってました。
会議を進行する時は、出席者に、ちょっとずつ発言してもらって、そこにいたことを実感してもらうことが大事だと。
自分の発言とその場のイメージが、一緒に脳の記憶にすりこまれることが重要なわけですね。
この話、まだまだ考えないといけないことが多そうです。
先生に御心配いただいている私の“弱気”ですが、多少そうであった方が、反省するのではないでしょうか。
強気な人格で自己改革できるのか、これは私無理なのではないかと思うのです。
頑固オヤジは周りが変わらなければ、性格なんて変わりません。
わがままばかり言っていた相手の嫁はんが死んだら、途端に元気がなくなって性格も一変、というのはよく聞く話です。
人間、成長するには、多少は弱気になる局面も必要ではないかと思うのです。
根はごう慢な男でっさかい、長くは続かんと思います。
今後もどうぞご贔屓に。
論理的に短気な性格だなと近頃思うのですが、安部邦雄