前にも軽く触れた立花隆著『東大生はバカになったか』を取り上げたいと思います。
私は、20年ぐらい前から立花隆さんの本を愛読していまして、評論家としては業界随一なのではないかと思っています。
朝日ジャーナルに連載していた「ロッキード裁判を斬る」は毎週発売日が待ち遠しいほどでした。
立花さんって、テレビに出ているようで余り出ていません。
出るのは専ら「ニュース23」です。
これは筑紫哲也さんがキャスターのためのようです。
「ロッキード裁判を斬る」連載時の朝日ジャーナルは筑紫哲也さんが編集長でした。
その頃から、肝胆相照らす仲になったようです。
立花さんはよく言われます。
「私はやりたいことがいくらでもある。政治のことばかり関わっていられない。」
おそらくテレビなどに余り出ようとしないのは、そんなことは時間の無駄だと思われているからでしょう。
いつか私もそう言えるようになりたい。
「私はやりたいことはいくらでもある。会社のことばかり関わっていられない。」
本当に言ったとしたら袋叩きかもしれないが。(それとも愛想尽かして社員が皆やめちゃうかも。)
さて、『東大生はバカになったか』の本の話です。
今の東大生はガリ勉ばかりでけしからん、という話ではありません。
又、東大生のエリート意識は鼻持ちならんという揶揄を集めた本でもありません。
一言でいうと、日本の知がデフレスパイラルを起こしている、その現場を東大で見るという話なのです。
知は教養と考えて良いかもしれません。
つまり、今の大学教育は教養を教えることを忘れているという話です。
知のデフレスパイラルという表現には少し驚かされました。
私が少し前に書いた「教育のデフレスパイラル」と理念的に同じだったからです。
日本人が2000年の歴史の中で築き上げてきた日本の知が、文部省の誤った政策によって急速に失いかけているのではと立花さんは指摘しているようなのです。
同感です。
経済のデフレスパイラルは語られても、教育のデフレスパイラルは語られない。
何故にこの教育デフレが語られないか、それは少しも儲からないからだというのが私の主張でした。
ひょっとしたら、立花さんの知のデフレも同じ理由かもしれません。
大学で何故教養を教えないか。
そんなことをしても誰ももうからないからだ。
立花隆さんの教養論は是非この本を読んでいただいて、理解していただきたいと思いますが、「東大生がバカになったか」という疑問への私の答えは次の通りです。
入学試験というカテゴリーに親和性のある高校生(つまり試験の成績のよい生徒)が、上から順番に入学するのが東大というわけでして、別にこの位置付けは昔からそんなに変わってはいません。
ただ、東大をとりまく環境(物質的・精神的)が一定でないため、東大生の質のコントロールが昔ほど維持出来なくなってきたということではないでしょうか?
え?わけわからんことを言うな?
もっと具体的に言え!ですか?
つまり、社会が要求する東大生の質と、今の東大が産み出す東大生の質とのミスマッチなんですね。
エリートやったら、もっとエリートらしい仕事をせえ!ということですね。
で、今の東大にそんな東大生を求めるのが無理らしいです。
それもこれも、文部省の画一化した教育政策の所為だと思われるのです。
ま、とりあえず『東大生はバカになったか』の感想を簡単に書いてみました。
ますます、教育について勉強しないとだめかなと思う今日この頃です。
世の中バカもおればカシコもおるわけでして、出た大学で区別するのが問題かと、安部邦雄