孟子の中にあった言葉「恒産なくして恒心なし」。
昔から好きな言葉だ。
恒産=一定の収入 恒心=揺るがない心、とでも言えばよいのだろうか。
広辞苑では「一定の正業や収入のない人は常に変わらぬ道徳心を持つことができない」とある。
「武士は食わねど高楊枝」と対極をなす言葉だ。
結局、どんなに偉そうなことを言っていても、収入がなくなればそんな高尚なことばかり言っていられないはずだ、と私は理解している。
会社の春闘でも、私はこの言葉をよく引用した。
イイ仕事をしてもらいたければ、まず恒心を得られるような賃金を保証せよ。
恒産(金)がなければ、イイ仕事なんか続きはしない。
でも、ほとんどの労組員はチンプンカンプンだったかも。
労働争議で中国の故事来歴を語っても、組織的に浮いてしまうのが悩みのタネだったなあ。
この言葉、今も大変な重みをもって私に語りかけてくる。
まず、収入を確保しないとだめだ。
どれだけいいアイデアを持とうと、どれだけいい人材をそばに置いていようと、金がなければアイデアも人材も結局は無にしかならない。
過渡的には、「武士は食わねど」でも仕事はできる。
しかし、そんなものは長く続かない。
結局、人が生き続けるために必要なものは恒産なのである。
恒産あっての恒心。
プアな生き方をしている人間に、リッチな心は宿らない。
リッチな心なくして、リッチな仕事はできない。
一生、下請け労働者、一生、下請け零細企業。
恒産?でも、どうやってそれを手に入れたらいいのか。
それを持たない今の私は、だったら恒心も持っていないのか?
貧すりゃ貪すともいいますしね。
貧しいと頭の働きが鈍くなるそうですよ。品性がさもしくなるそうです。
プライオリティ的に言えば、まず恒産ってことなんだろうな。
ベンチャービジネスにしても、やはりエンジェルの存在がなければプアなビジネスに留まるということかもしれない。
ベンチャーは自分で金を調達しろなんてことを平気で言う人がいるが、せっかくのアイデアも下手すりゃつぶれるということにも、もう少し理解を持ってほしいものだ。
日本のベンチャーって、結局プアなイメージから脱皮出来ないのも、こういう構造が影響しているのだと思うのだがいかがだろうか。
今年は何とかプアな事業形態を卒業したい、安部邦雄