ちょっとショックだったことがある。
この欄でも名前だけよく出てきていると思うが、養老孟司さんの「続・涼しい脳味噌」に次のような記述があった。
考えていることが、頭の中で整理されてきた。
すると、改めて「あたりまえ」を発見するようになる。
神経細胞が減少したことによって神経回路が整理されてきたからかもしれない。
そうだとすると、これは単なるボケである。
ちょっとわかりにくい表現かもしれない。
でも、私は愕然とした。
そうなのだ、50をすぎてから、妙に頭の中が整理されはじめているのだ。
しかも、養老孟司さんがおっしゃるように、「あたりまえ」の発見が近ごろ多いのだ。
例えば、前に上柴とおる先生の話を交えて取り上げた、「私は人の意見を聞かないタイプ」でも、そんな話をしたはずだ。
とおる先生は「今頃何言っているんだ?」みたいな反応をされていたようだが、そうなのだ、あたりまえのことを何故今さら言うの?と思われても仕方がないことだ。
私はあたりまえのことに気づいたのではない。
神経細胞が死滅していって、回路が簡素になってきた。
それで、あたりまえの度合いが脳の中で強まったにすぎないのかもしれない。
これはボケ症状であり、意識の進化ではない。
目がだんだん老眼になるのと同じように、脳がどんどん老化しているのだ。
えー、そうやったんやー。
私のショック度、おわかりだろうか。
そう言えばおかしいと思っていたのだ。
何かこの頃、物事の意識的な処理が前より合理的になったなあと感じていた。
次々に法則性を見い出し、社会に起きる状況を次々に分析できていた。
そして、おそらく次はこうなりますよと予言すると、たいていその通りになっていった。
こんなことは、前にはそんなになかった。
よくわからない事だらけだった。
今は、材料と時間さえ与えてもらえれば、どんなものにでも合理的な説明をすることができる。
自信があった。何て進歩したんだろう、私は。
でも、違うかもしれないのだ。
単に、神経細胞が死んで、回路が整理しやすくなっただけなのだ。
あ?あ、せっかくオレって天才!と喜んでいたのに。
でも、かえって私の脳細胞が愛しく思えてきたりもする。
子供の様に、夢を見ていた私の脳細胞。
そりゃ、そうだ。
老化とは、子供に返ることなのだから。
人間、一代で進化なんかするはずがない。
どうして気づかなかったのかな。
あ、これも又、私の神経回路がシンプルになった結果なのかも。
そろそろ議論がループしはじめているようだ。
とりあえず、今日はこんなところで思考を止めよう。
人間老いやすく、学なりがたし。
ほんまやねえ?。
ジャンボは4基のエンジンのうち1基でも大丈夫だったら飛び続けられるそうだ、よーし、負けへんぞ!安部邦雄