4年ほど前、あるミニコミ誌に「プロデューサー入門」という連載をしていた。
これからプロデューサーを志す君へのアドバイスという趣旨だったが、若い人でプロデューサーになりたいと思う人なんてどれぐらいいるのか、と今はちょっと間の抜けた連載だったなと反省しきりである。
プロデューサーになりたいと言う人は、よほどの通である。
プロデューサーが具体的に何をする人かわからないのに、なりたいなんている人がそんなにいるわけなかったのだ。
むしろディレクター入門と言った方がよかった。
そうすると話はもう少し具体的になる。
実際、日々番組を作るのはディレクターである。
プロデューサーは横でボーと見ているだけである。
収録が始まれば口を出すことは非常時を除いて遠慮するのが普通だ。
真剣勝負の場ではプロデューサーは邪魔なだけなのだ。
大人しく笑っていればいいのである。
ディレクターの心得というのは、では何だろうか。
まず、作るものは商品であり、自分の為の芸術作品ではないという自覚が必要だ。
芸術家肌のディレクターがいてもイイとは思うが、それは商品として通用した上の話である。
売れない時代のゴッホの絵は、商品ではない。
売れた後のゴッホの絵は商品である。
この違いがわからないようでは、ディレクター失格である。
次に、ディレクターは商人ではない。
そろばん勘定で番組を作ってはいけない。
番組自体の原価意識を持つことは大事である。
しかし、自分の損得で番組を作ってはいけない。
お客さん(視聴者・聴取者)のニーズに合わせて番組を作っているのだという自覚が肝要である。
私はディレクターになった時、マイクの向こうにお客さんが見えているか?ラジオの前にいるリスナーが見えているか?を重視しろと先輩に言われた。
ある曲をかけた時、どんな人がその曲に向かって反応しているのかがわかるだろうか?
ある話題を流した時、どれだけの人が、その内容に興味を持つかがわかるだろうか?
それを意識して選曲しろ、それを意識して話題を選べ。
客の表情を刻々とイメージできないようなら、貴方はディレクターには向いていない。
素人と同じだ。
変に業界ずれするだけ、病は重い。
番組を作るのも、市場で商品を売るのも大して変わりない。
例えば、店先で魚をさばく人が放送局のディレクターと思えばよい。
魚をさばく前に、いい包丁、清潔なまな板をそろえる。
それもディレクターの仕事だ。
さばく為の魚を吟味する。
それもディレクターの重要な仕事だ。
たまには変わった魚も入荷するだろう。
どんな魚であれ、一応は知識を持ち、その料理の仕方を知っている。
そのための努力を日々している。
そして、そのさばき方は誰が見ても見事でなければならない。
前で見ているお客さんに試しに食べてもらって、「うん、これはおいしい」と言ってもらわないといけない。
パフォーマンスもできれば様になっていてほしい。
どんなに疲れていても、どんなに睡眠不足でも、お客に「すみません、私、全然寝てないんです」なんてどっかの社長のようなことを言ってはいけない。
言い訳するなら、最初からディレクターになんてなるな!
一睡もしていないということを、ディレクターの美学みたいに言う連中も多い。
スタジオの片隅で仮眠するのがカッコイイと思ってるやつもいる。
馬鹿を言え。眠るなら、人から見えないところで寝ろ。
これ見よがしに寝てるやつがプロであるわけはなかろう。
ディレクターの心得は、まだまだこれだけではない。
いつか、小冊子にまとめて配りたいくらいだ。
世に出回るディレクターを特集した本の馬鹿馬鹿しさには近頃頭に来ているのだ。
でも、前にも書いたが、こんなことを気にするのは、結局それだけ私の脳が老化したからかもしれない。
いつか、頑固じじいと呼ばれ、そんな発想は古いですよ、等と揶揄されることになるのだろう。
それでもかまわない。
いつか作る。きっと作る。さよならは愛の言葉さ?♪
ま、今日はこのぐらいにしといたろかい。
ディレクター道というのも絶対あるはずだと思う、今日このごろの、安部邦雄