植木等さんの「ドント節」を覚えているだろうか。
「スーダラ節」に続く第二弾だったと思う。
「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ?、二日酔いでも寝ぼけていても、タイムレコーダ、がちゃんと押せば、どうにか格好がつくものさ?ちょっこらちょいとパーにはなりゃしねえ?」
中学生の頃に聞いた曲で、サラリーマンというのは気楽な稼業かどうかは知らなかった。
実際、大学出てサラリーマンになったが、その時も、それほど気楽な稼業でもないなあと実感した。
そして、自分で会社を経営するようになった時、心から思った。
サラリーマンは気楽な稼業だ、と。
何が違うか?
サラリーマンは確かに毎日会社に出社して、嫌な仕事、嫌な上司、嫌な同僚とつきあわないといけない。
でも、結局みんな心のどこかで思っているはずだ。
何か困ったことが起きても、多分なりゆきにまかせていれば、誰かが何とかするだろう。
経営者にはこれがない。
ほっておいたら、誰も何もしてくれないのだ。
仕方がないから、今の困った状況を打開してくれる人のところへ相談に行く。
国や地方自治体の予算がほしければ、政治家に頼みに行く。
当面の運用資金が必要なら、懇意にしている金融機関に相談に行く。
助成金の申込みのために社会保険労務士に依頼に行く。
税金が払えそうになかったら、税理士さんに何とかしてもらえないかと懇願に行く。
サラリーマンはこんなこと一切する必要がない。
毎日会社に出勤し、給料が安いと文句をいい、上司がなっていないと酒の肴にする。
もちろん、先ほど書いたようなことなど一度もしたことがないという経営者を私は経営者とは呼ばない。
雇われ経営者は、サラリーマンと同じである。
子会社の社長に多いパターンだ。
親会社がそのうち何とかしてくれるだろう、と思っているはず。
私の知っている、ある社長は、いつ行っても自分のアイデアばかり話している。
アイデアばかりで、そのための方策がひとつも具体的でない。
構造改革を言うばかりで、具体的な方策が貧困な小泉首相のようなものである。(ま、この社長と小泉首相を比べるのは月とスッポンを比べるようなものだが。)
いざとなれば、誰かが何とかしてくれると思える人は幸せ者だ。
その範囲のストレスがないのだから。
私には、誰かが何とかしてくれるとはとても思えない。
何かをしてくれる人は、私の持っている何かと交換でしか何もしてくれない。
この交換、バーゲニングが自分にとって得なのか損なのか、それがなかなか判断出来ない。
下手をすれば、会社を巻き込んだ形で大損するかもしれない。
もちろん、私は無一文でほうり出される。
そんな目にはあいたくない。
もう私のような年令になると、一からやり直しというわけにはいからないからだ。
誰かが何とかしれくれる、と思う人は、結局自分が責任をとる立場でない人だろう。
だから、後からいくらでも自分を合理化できる。
「だから、言ったじゃないか?」
自分はちゃんとそれを指摘した。それを解決しようとしなかった奴が悪い。私はやることはやった。
はいはい、確かに貴方は言いました。
だから、どうだって言うんですか!?
さて、この話も続ければ長くなりそうだ。
この続きは「だから言ったじゃないの?」と言うタイトルで別の機会に。
何か材料をお持ちの方は御一報いただければ幸いです。
松山恵子の歌を思い出す人って、どれぐらいいるのかな?安部邦雄