昨日、「時代の気分と対応している自分に気づかず(自覚できず)、勝手に自己過信して墓穴を掘る」、という表現をしました。
これって、大事ですよね。
アーチストはデビューした時は、確実に<時代>を自分の中に取り込んでいるんですね。
それまでの人生を、独特の感性で受け止め、音楽の分野で再構築して来たわけです。
そのデザインの仕方が、ユーザーに受けたわけです。
共通基盤は<時代の気分>です。
それを、ヒットメーカーは自覚しないといけません。
「自分一人で大きくなった」と思いがちなのです。
そんな認識でいるから、自分は永遠に偉大なのだ、なんて錯覚に陥り、挙げ句の果ては、ユーザーから見放されていくというわけです。
自分の境遇が変われば、自分の感性も変わります。
生活が贅沢になり、時代へのハングリー精神がなくなり、まわりはおこぼれ頂戴のイエスマンばかりになったら、果たしてアーチストが時代を語ることができるようになるでしょうか。
何もアーチストにマーケティングをしろ、と言っているわけではありません。
それは、プロデューサーの仕事でしょう。
ただし、時代のずれを確認する為に、アーチストは常にプロデューサーの言葉に耳を傾けねばなりません。
裸の王様は、子供の正直な一言で、あっという間に権威を失います。
音楽界で、私はどれだけの裸の王様を見て来たことか。
ところで、ヒット曲って具体的に何をさすのかという話をしないといけません。
ヒットした曲と言えるだけの根拠は何なのか?
レコード(CD)の売上枚数?
カラオケでの選択回数?
ラジオやテレビでのオンエア回数?
活字媒体での露出度?
さて、ヒット曲って何だろう?
この続きは明日ゆっくりと。
今夜は紀伊国屋で南河内万歳一座の公演を見に行く予定、舞台でヒット作といえるのって、日本でどれぐらいあるかなあ、安部邦雄