エルトン・ジョンが音楽界に苦情のニュース。(ロイター電)
エルトンは、シリアル商品のように音楽が量産されて
おり、多くがごく平均的な水準でしかないと指摘。
見分けのつかないような音楽が氾濫しすぎていること
に懸念を示した。
また、金もうけ路線に走っているとしてレコード会社
を批判し、時間をかけて若手を育てれば才能を発掘で
きるのに、それができていないという現状に憤りをあ
らわにしている。
シリアル商品、凡庸な作品群、みんな似ていてオリジナリティがない。
才能ある若者の発掘に金をかけろ、そして育てろ。
エルトン・ジョンの苛立ちまで、こちらに伝わって来そうだ。
お怒りごもっとも。
でも、言ってみても始まらんような気がする。
今の業界に何を言っても、のれんに腕押し、ぬかに釘。
今のヒット曲は、昔のヒット曲ではない。
時代が違うし、ニーズが違うし、商品パッケージも違う。
コンテンツは同じでも、それは今やトレンディ・グッズなのである。
商売になる対象が違って来ているのだから、何を言っても単なる懐古趣味になる。
ま、私の意見はこんなところか。
とはいえ、音楽をアートとして考えるなら、ヒット曲というジャンルはまだまだ可能性が消えたわけではない。
ヒット曲に拡大再生産を望むから、シリアル商品の大量生産、大量消費型、商品流通モデルが必要になるのである。
ネット時代が、P2P型の商品流通を基本にするとするならば、それに合わせたヒット曲モデルだってあるはずだろう。
前にも言ったが、ヒット曲を産み出す素地は、ユーザーの時代に対する気分にほかならない。
その気分に合わせて、音楽を生産できること、又それが充分過去の作品より新機軸を打ち出していること(つまり上昇ベクトルを内包)、それがおそらくこれからのヒットメーカーに必要になってくるのだと思う。
ただ、過去の音楽の模倣でしかない新曲や、同じ地平をループしているだけの新曲ではなく、スパイラル的な上昇ベクトルを持つ音楽の発展性に、どれだけ今の音楽業界が気づけるかどうかにかかっているのでないだろうか。
発展性のないムーブメントには未来はない。
ヒット曲が今のままでは業界の衰退と共に終わりである。
音楽は永遠である。
しかし、ヒット曲に寄生して利益を産み出そうとする音楽業界は長続きはしないことはおそらく確かであろう。
「ヒット曲って何だろう」シリーズはとりあえずこれで終わり、でも結論が中途半端だって言われそうな予感がして今夜は眠れそうにない、安部邦雄