今の世の中に要求したいことって何だろうかと考えてみた。
会社関連では、そろそろどこか私達の事業に資金援助をしてくれる投資家が出て来ないだろうか、ということかな。
紹介しましょうか?とか、面白いと思うので、もう少しきっちりした目論見書を作ってみたらとか、色々提案をいただいたりしている。
ただ、できれば投資家は私が最終的に選択したい。
だから、こちらから提案してまわると、ちょっと遠慮したいと思うような投資家も断れなくなる。
このあたりは、判断はとても難しい。
本当に切羽詰まったら、背に腹は替えられなくなるかもしれないが、このあたりはちょっと微妙な心境だ。
そんなに偉そうに言えるような立場でもないし。
これは、と思えるような投資家の方に早く巡り会いたいものだ。
でも、これを要求するとしても、誰にすればよいのだろう。
アラジンの魔法のランプでも見つけだすしかなさそうだ。
国に対する要求って何がある?
もうちょっとちゃんとせえよ!って、これじゃ要求じゃないなあ。
自分に答えがないのに、他者にそれを要求するのってあまりフェアじゃない。
景気をよくしろ!なんて単純に要求する人がいるけど、その方法について、あんたは少しでも提案したことあるのか?
誰かが何とかしてくれるだろう、という意識ありすぎなのではないだろうか。
俺はちゃんと税金を払っている。
国民の3大義務も果たしている。(労働・納税・教育)
国はちゃんとサービスせんか!景気を早く上向かせろ!
違うだろ、国はそんなに客観的なものではないはずだ。
国は、同時に自分の中の主観でもあるのだ。
自分が良くしようと思わなければ、国なんてよくなるはずがない。
自分に哲学がなければ、国にも哲学なんてあるわけがない。
「お上と民衆」という構造は、もはや今の日本では通用しない。そんな哲学は<糾弾>の対象になった。
今の国の状況に問題があるとするならば、国民にこそ問題があるとしか言い様がない。
天皇を中心とした神国ニッポンが、汝臣民を富の世界へと導くなんて、馬鹿馬鹿しい世迷い事が再び復活しそうな今の世の中だ。
間違った哲学の上には、間違った国家しか産まれない。
テロ国家と名指しされている国も、又この類いであろうと私は思う。
国への要求。
もう少し、真面目に教育を考えてほしい。
現場の、心ある教師をないがしろにし、要領ばかりいい連中の犠牲にするのはやめてほしい。
地方公共団体が、それぞれ地域で独自の教育方針を打ち出す方が、まだ大分ましなような気がする。
国旗を上げない、君が代を歌わない、そんな地方があってもいいではないか。
教育勅語を毎日朝礼で読み上げて、その後、皇居に向かって拝礼する、そんな地方があってもいいではないか。
何故、日本全体が同じでないといけないのだ。
言葉だって、本来、地方によって違っていたはずだ。
それが今や、どこも東京弁を標準語などといって、画一的に全国で使わせようとする。
地方の言葉を使うのは恥ずかしいと、若者に思わせたりしている。
それで、地方が活性化するか?
同じだったら、みんな東京に出て来てしまうだろう。
地方には色々特色があって、それが独立して全世界に通用するから、国土の均衡ある発展ができるのではないのか?
みんな同じなら、地方にくすぶっている理由なんてどこにある?
何か、途中で趣旨が違って来たような気がするが、ま、今夜もこれぐらいにしといたろかい。
大阪もそうですよ、関空もミニ成田にすぎないから、成田が整備されれば衰退するに決まっている。そこにしかないものを作らない限り、第二期工事なんか田舎の高速道路を作るのとどこが違うんや、あほちゃうかとしか言えないの悲しい、安部邦雄