あ?あ、2/25分の更新ができなかったなあ。
もう、2時だ。
先ほどまで、銀座で打ち合わせ。
ほとんど飯食って酒飲んでいただけのような気もするが、結局こういう時間の共有が次の仕事を産むのだろう。
無駄だと思っちゃいけないわけですね。
席上、ある人が自分の上司に鍛えられた話をした。
営業のやり方がなっとらん、お前の仕事の仕方は最低だ!そんなことを毎日言われ、涙したこともある。
でも、今になって思う。
私はその無慈悲な叱咤によって、今の自分があるのだと。
自然に鍛えられた草は強い。
温室育ちの野菜や果物は結局過保護でしかない。
お互い戦わせてみればわかる。
温室育ちは雑草の敵ではない。
そうか、鈴木宗男さんも、こういう形で競争を勝ち抜いて来たのか。
ついでに私も思った。
確かに上司は私に色々な理不尽な命令をしてきた。
しかし、結局その理不尽に耐えることによって、今の自分があるのだということを自覚せざるを得ない。
理不尽だからといって、否定するのも間違っている。
自然とは、基本的に理不尽なものなのだから。
その中で、私はこんな話をした。
お客さんと食事に行った時、私の理不尽な上司はきつく私に言った。
「いいか、注文をするのは、お客さんがしてからだ。」
「お客さんがA定食と言ったら、お前もA定食というのだ。
自分が食べたいものを注文するのはプライベートにしろ。仕事でものを食べる時にはお客さんと同じものにする。これは常識だ。」
営業を多少でもやったことがある人なら、この意味がわかるだろう。
お客さんと同じにするのは、何も客に好みを合わせろということではない。
これには二つの意味がある。
お客さんと同じにすれば、注文の品がほぼ同時に来るだろう、ということだ。
別々のものを注文すると、通常同じタイミングで料理は運ばれて来ない。
お客さんの品が先に来れば、お客さんは食べづらくなる。
どうぞお先にと言っても、食べづらいのは同じだ。
人に見られながら食事なんてしたくはない。
自分の品が先に来たら、今度は自分が困る。
先に食べるわけにはいかない。
しかたがないから、お客さんの品が来るまで箸をつけないで待っていることになる。
料理は、さめると価値が半分になると言っていい。
相手の客が、もしグルメだったりしたら、それだけでフラストレーション一杯になるはずだ。
熱い内に食わないと、料理が泣くだろうが、小僧め!
もちろん、お客さんは口に出しては言わないだろうが、そう思って、こんなデリカシーのない奴とは仕事はせん!と心の中で決めるかもしれない。
もう1つ。
一緒のものを食べるということは、情報を共有することだ。
接待で大事なことは、情報の共有に他ならない。
別のものを頼めば、せっかくの情報共有の機会を失することになる。
同じものを食べ、うまければその味を二人で愛であい、まずければ、店を出てから「今の店、まずかったですねえ」などと言って、会話の材料になる。
接待とは、情報を共有することに他ならない。
ま、このあたりのノーハウは、センスのない奴にはわからんだろうが。
皆さんも人と飯を食う時には気をつけましょう。
等と書いていると、時間が2時を過ぎてしまった。
まだ仕事が終わらん。
あ?あ、鬱だなあ。
外はスギの花粉だらけ、当分、頭にお椀がかぶったままの、安部邦雄