受かる確率30%、東大・東教大の入試中止、学部創設による定員大幅増加の予算が却下。危うし、邦雄ちゃん。
そういうことで、私の特異な受験体験の続きである。
受験初日は大雪だった。
交通は朝、マヒ状態。
それでも、日が昇れば雪はどんどん融けるので、2時間ほどの遅れで受験は恙無く行われた。
試験会場が又意外な場所だった。
兵庫県の尼崎市にある、某女子短大。
その年はわが大学もほとんど学生によって施設がバリケード封鎖されていた。
入試粉砕を叫ぶ学生によって妨害されかねないということで、様々な場所に分散して入試が行われた。
文学部は定員80人に対して、受験生500人弱だから、女子短大ぐらいの規模でよいと判断したのだろうか。
唯一、困ったことはトイレ。
男子用等、ほとんど存在しない。
架設トイレが作られていたような気がするが、良く覚えていない。
私が使ったのは、トイレに入って手前に1つだけある男子用便器。
この場所だけ、アメリカの個室トイレのような構造で作ってある。(つまり上と下がスカスカ)
女子大に勤めている先生は大変だなあと思った次第。
さて大雪で交通マヒの話。
私は精神的にはほとんど影響を受けなかった。
何しろ、私の大学入試突破戦略によれば、2時間前に受験会場に到着していることというのがあった。
そのために3ヶ月前から、ずっと朝5時起きを励行していた。
会場まで、家から1時間あまりかかるのだが、その日は2時間弱かかっただろうか。
でも、私は全く動じない。
駅から試験会場までの道は一面の雪景色。
誰もまだ歩いていない、バージン・スノウ。
スキップしながら、ルンルン気分で学校へ向かった。
私に悲愴な気分はまるでない。
到着すると、2時間ほど試験を遅らすという表示。
ほとんど誰もいない教室で、石油ストーブのそばで暖をとりながら、さて?どうやって時間潰そうか?などと考えたりした。
よくギリギリまで参考書開いて、なんて皆思うようだが、そんなの今さらやっても気休めにすぎない。
むしろ、自分の頭が一番働けるようにするには、今何をすべきかを考えた方がよい。
精神的に追い詰められるのが、一番合理的な脳の活動を阻害する。
雪を踏みながら、歌でも歌っている方が、どれだけ脳の為によいかしれない。
ま、私の入試突破術は今回はこれぐらいで。
で、これといった困惑もなく、3日間の試験期間が終了。
その時の感想。
ま、よっぽどの事がない限り、合格したみたいだな。
試験問題は殆ど覚えていたし、答えた内容も覚えている。
その日の夜、テレビで模範回答をやってくれるのだが(地元の国立大学だと、民放は到れり尽くせりだったなあ、当時は)、数学なんか75点は確実だったし、国語は古典の問題が私が受けていた通信添削の内容そのもの(つまり同じ作品の同じ章)だったりで、何か無茶苦茶申し訳ないような気分になったものだ。
試験発表はそれから2週間ほど先。
奈良の親戚の家にその間逗留して、寺や古墳等を毎日めぐる日々だった。
あんまり何も考えたくなかったということだ。
途中、あるテレビのドラマを見ていると、私と同じ受験番号の主人公が出て来て、その発表があった。
番号は58、そして主人公は叫ぶ。あったー!
偶然とはいえ恐ろしいものだなあ、と今もしみじみ思う。
ということで、めでたく私の58も合格欄にはり出していた。めでたし、めでたし。
特異なこと、しかし、これだけではない。
その年は、堺の刑務所から問題用紙が流失し、大量の不正入学者を出したとしでもあるのだ。
医学部の定員80人のうち20人あまりが不正入学者だったのだ。(他の学部でも退学者続出)
発覚したのが、夏すぎたころ。
今まで、同級生と思っていた連中が知らない内にいなくなった。ちょっと愕然としたものだった。(俺もひょっとしたら不正入学者じゃないか、と自分でも疑ったりしたもんだ、何の根拠もないけど。)
ああ、日が変わってしまった。
とにかく、今日はこれで終わり。
他にも、替え玉受験事件というのも後年発生、何たる学年だったんだろうね、私の世代は、安部邦雄