リストラされた人が、ある会社に面接に行って必ず聞かれるであろう言葉が「あなたは何ができますか?」だそうである。
決して、あなたの過去を聞いたりしない。
あなたのキャリアを聞こうともしない。
-どこそこで、営業部長をやっておりました。
-大企業で、経理課長をやっておりました。
そうですか。で、今のあなたは何ができますか?
ぐっと、言葉につまるそうである。
考えたら、私に何ができるのか。
すぐには、言葉にならない。私が話せるのは、今まで自分が何をしてきたかだけだ。
人間のできることなんか、たかがしれている。
それでも、そのたかがしれた能力を、精一杯他者と差別化しない限り、面接は通らない。
あなたは何ができますか?
私も先日、ある人からそう問いかけられた。
私ですか?そうですね、私はプロデューサーですから、あなたが作ってほしいものを大抵プロデュースすることができると思いますよ。
その人はちょっとバカにしたように私に言った。
「お、大きくでましたね。じゃあ、マイケル・ジャクソンとホイットニーのジョイント・ライブでも作ってもらおうかな?」
ふん、偉そうに言ってもできるわけないだろう、という顔だった。
私は答えた。
プロデュースするぐらいは、おそらくできるでしょう。
但し、費用と時間はふんだんに与えてもらえることが条件ですが。
これは逃げ口上ではない。
できるというのは、それが作られるプロセスを把握し、それにそって実体を作ることができる能力である。
金と時間があれば、そのプロセスを正しくトレーシングできるということだ。
だから、私はたいていのものをプロデュースできると言ったわけである。
私はプロのプロデューサーである。
そこらの素人ではない。
今から作ろうとするもののプロセスをイメージできるし、できたものの姿もほぼイメージできる。
又、イメージできないようなものは、できるとは言わない。
交流分析という心理学の手法と同じようなものである。
又、自己実現の過程とも同質である。
イメージできるものは、作ることができるのである。
例えば、全く放送業界に詳しくない人に、30分のラジオ番組をどんな内容でもいいから作りなさいと言っても、おそらく作れないだろう。
料理のレシピを知らない人が、肉じゃがを作るようなものである。
無理して作ってくるかもしれないが、おそらくそれは「肉じゃが」ではなかろう。
「肉じゃが」によく似た「肉じゃがもどき」のものが出てくるに違いない。
放送もそう。
本人はそれを番組と思っているかもしれないが、プロから見ればとてもそれを一般の人に聞かせようとは思わないだろう。
私は30分の番組をほとんどすみからすみまでイメージできる。
だから、時間と金がふんだんにあれば、ものの見事な30分番組を作ってさしあげる。
前に御殿も堀建て小屋も同じだと書いた。
作るものがイメージでき、そのプロセスがあまり変わらないとすると、ゴージャスなものもチープなものも、プロデューサーの中では、さほど違うものではないのだ。
ま、そういうことで、私は大言壮語と自覚しながら、「何だってプロデュースしてみせます。」と言ったのだ。
相手が理解したかどうかはわからない。
ただ、自分のできることをそういう風に表現した自分がちょっと可愛かったりしたものだ。
さて、あなたなら何ができますか?
その答えをお持ちですか?
これからの時代にとても大事なことは、自己のアビリティであるということ、学校はもっとこの点を重視していってほしいと思うのだが。
自分の仕事に誇りを持てるように、これからも精進を重ねたいと決意表明する、安部邦雄