政治家が辞職を決意する時に、よく聞かれる言葉。
それが、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という諺。
一度、流れに抗うことをやめ、身を投げ出してごらん。そうすれば、結果的には足が立つような瀬に辿り着いて、又再起することも可能なのだから。
とはいえ、なかなかできないことだ。
身を捨てたからといって、必ず瀬に辿りつく保証は何もない。
身を捨てること自体にも、何がしかの恐怖はある。
バンジージャンプみたいなものか。
人間、生理的に身を捨てることはできないように作られている。
簡単に言うな!おれにかまうな!ほっといてくれ!
そういう虚勢張りをよってたかって囃して、嘲笑う。
けっ、所詮偉そうに言ってても、お前はそれぐらいの奴なのさ。
サルは、どこまで行ってもサルなのだ。
自分は、お前等と同じようなサルではない、と強がったところで、サルはサルなのだ。
厭な渡世でござんす。
会社の経営者をやっていても、よく思う。
ま、今までのところ、一度も勝者という立場にたったことがないので詳しいことはわからないが、会社がうまく行き、バカバカ儲かると自分は特別な人間だという、思い込みがうまれるのかもしれない。
立志伝中の人物は、どれだけ自分が世の中を均等に見つめながら今の地位を得たと書いていたとしても、おれはこんなに他人と違っていたんだ、という自己主張が垣間見えるものだ。
他人と違う、俺は他のサルとは違う、増上慢の罪と言われかねない自意識が、勝利者には生まれるものだ。
天狗になっているとか、世の中をなめているとか、あいつは結局考え違いをしているとか、いきなり社会の寵児になった人物に投げかけられる言葉もたくさんある。
いいか。
お前に皆が頭を下げるのは、お前自体に頭を下げているのではない。
お前の肩書きや、お前の後ろにある<権威>に頭を下げているのだ。
それらをみんな失ったお前なんか、誰も見向きもしなくなる。
それを忘れるな。
先輩は、申し送り事項のように、後輩にその言葉を語る。
だが、大抵の場合、後輩はその言葉を忘れ、自分は単なるサルではないと思い込むようになる。
人間の悲劇というべきか、カルマというべきか。
私も50を過ぎて、自分がサルの中のサルではなくて、単なるサルの中の一匹以上のものではない、と気づくようになった。
今頃気づいても遅い?
それとも、今からでも気づかないよりはマシ?
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の
かけたることも なしとおもへば
どんな立場だったのか知らないが、よくこんな歌を歌えるものだ。
それだけ、道長卿は無知だったということなのかね?
近頃、気分で書きちらしているのではと言われかねない、安部邦雄、これでも反省文のつもりなのですが