大学時代の友人から電話があった。
昨年、若くして亡くなった仲間の命日に皆で集まろうという連絡だった。
そうか、彼は一つ年をとることはもはやできないのか。
彼の年令はその時から増えることはない。
そして、いつか私たちとともに忘れ去られるのだ。
成長しなくなるものは、消えるしかない。
成長しない魂もまた、いつまでもこの世に居続けることはできない。
私は、幸か不幸か今年も無事新年を迎えることができた。
彼が経験できない、2005年の息吹きを今も吸っている。
2006年、2007年と、人の心を顧慮することもなく時はすぎていく。
まことに時は、スティーブン・キングの描く「ランゴリアーズ」そのもの。
私たちの時間の後を追い、形あるものをすべて食いつくすのであろう。
結局、私たちは形あるものに固執しすぎるのかもしれない。
形がなければ、世界は無だと思い過ぎるのかもしれない。
形がなければ、本当にすべては空しいのか?
この手につかめない愛がなければ、私は何故もの狂おしさに心しめつけられるのだろうか。
魂に形はなく、そこにあるのは思い出とか恨みとかの「情」のみ。
魂=情なら、魂が実在することを云々することも無意味な気がする。
情は深く、重いが、時の流れの中では浮きて儚い。
友の魂を追い求めんとして、今さら何を語らんと沈む我。
挨拶回りに出かけ、誰にも会えなかった、安部邦雄