安部邦雄全仕事の「JOBUポップ・サロン?あなた」の項でも書いたが、島田紳助は確かに面白い。
暴走族漫才というか、ヤンキー漫才というか、型破りな舞台を勤めていた彼だが、世の中を風刺する時のセリフは誰にもまねができないものがあった。
ゲストで出てもらった時(20年以上も前だが)の録音が残っていないのがとても残念だ。
糸井重里さんも「ほぼ日」で彼の言葉を紹介していた。
『人間、誰かにちょっと負けてるなぁと思ったときは、
だいぶ負けている』(島田紳助)
これ、実に共感できる言葉だ。
いつごろからか、私もずっとそう思い続けていた。
特に自分の専門分野と思っているところに、顕著にあらわれるのだ。
番組を制作していると、どうしても自分の番組と他のディレクターの番組を比べたりする。
で、「あ、こいつは俺とどっこいどっこいだな」と思う時は、絶対にそいつの方が能力は上だと思うようにしていた。
ちょっと負けてると思ったら、相当負けている。
勝ってるな、おれならあんなつまらない番組は作らない、と思っている時こそ、どっこいどっこいなのである。
本当に勝っている時というのは、相手の作った番組なんて意識に入って来ないのである。
つまり、勝っている相手は普段意識しない存在なのだ。
逆に激しく競り合っている相手に対して、俺の方がちょっと上だ、などという価値基準を持つのである。
人間の錯覚なのである。
基本的に、自分の基準の中では自分に甘く、他人に辛いものだ。
それで、人間はバランスを頭の中でとるのだ。
自分は、こいつに勝っていると思うということは、本当はこいつと同程度のものでしかないということだ。
そうか、気をつけよう。
昨年、私達が最優秀賞をとったビジネスプランコンテストでも、私自身大いに悩まされた。
自分達の提示したプランはそこそこ自信があった。
しかし、その時の競争相手のプランとどちらが優秀かは正直言って判断がつかなかった。
競争させられた時、たいてい自分の価値基準は混乱するものだ。
冷静に考えれば、自分達のプランの方がイイに決まっているのに、その渦中に入れば、なかなか自分の判断に自信がもてなくなる。
自分が関係なければ、実に見事に優劣を語る自信は私にはある。
しかし、その中に自分が入るとその自信は大いにゆらぐのだ。
人間の不思議さとしかいいようがない。
『人間、誰かにちょっと負けてるなぁと思ったときは、
だいぶ負けている』(島田紳助)
と言うのは、それゆえ激しく同意なのである。
隣の芝生は青く見える、というのと裏腹の関係でもある。
同じ大きさに切ったケーキも、他人の方が大きく見えるものだ。
他人の苦労は過小評価し、自分の苦労は過大評価するものなのだ。
私が会社にいないと、会社はうまくいかない、と思いたいものなのだ。
だから、会社を休まない。
風邪をひいても、熱を出しても、無理して会社に出てくる管理職。
入院中でも、電話であれこれと指図する社長。
しかし、それらはみんな幻想にすぎない。
あなたがいなくても、世の中は何とでも動く。
そう、私もきっとそうだ。
明日から1ヶ月間会社を休んでも、きっと後の社員が何とかやってくれるだろう。
おそらく、資金繰りもできなければ、彼等に給料も払われないだろうけど、事務所の家賃も滞納になり、請け負った仕事もなおざりになるかもしれないが・・・。
そんなのは一時のことだ。
会社である以上、誰かが何とかするはずだ。
何にもないことに愕然とするかもしれないが、すぐに気をとりなおして何とかするだろう。
俺は信じている。
そうじゃないかね、社員諸君。
前半の主張と後半の趣旨が合っていないのでは、などと野暮はよそうぜ皆の衆、安部邦雄