昨日、ある人の車に乗って海岸通りを走っていた。
その人は、ハンドルを握る手で軽く前方を指差しながらこう言った。
「あそこに大きなディスカウント系の酒屋があるでしょ。その向こうが100円ショップの建物で、反対側がユニクロ。しばらく、ファミレスや回転寿司などがあって、その向こうがドン・キホーテ。それから、もうちょっと行くと・・・」
等と説明してくれる。
で、最後に彼はこう言った。
「この通りを別名、安物通りと言うんだ。」
安物通り、彼の口から出たこの言葉に今の時代を凄く感じた次第だ。
そうか、今やいわゆるディスカウントショップが、通り沿いに並ぶ時代なのだ。
あの通りに行けば、どこよりも安く、どこよりも豊かに買い物ができる。
もちろん、どの店も駐車場完備。
安い店が一杯集まる、安物通り、いい得て妙だなとちょっと感心してしまった。
もちろん、正式にはそんな名前はついていない。
彼が命名し、彼の周りが使っているだけなのだが、そのうち皆が俗称として使うかもしれない。
新宿のしょんべん横丁とか、新宿ゴールデン街とか、当たり前だがどれも正式名ではない。だが、その名が見事に実態を言い表している。
地名とは、原則的にこうあるべきで、かってに何とか1丁目などという、どこにでもありそうな名前を自治体が押し付けたりするべきではないと思う。
昔は地名にはバラエティがあった。
私が育った千林の町には、昔からの村の名前がついたものが多かった。
実家は北清水町だったが、隣は貝脇町(落語に出てきそうな地名)、その隣は上辻町。
隣は馬場町、両国町に別所町。
滝井町に今市町に大宮町。京街道沿いに出来た町だから、どこも風景とか由緒が織り込まれている感じがしたものだ。
正式名ではないが、競馬場につきものの通り名が「おけら街道」。
最終レースもぼろぼろに負け、挙句は残しておいた電車賃も使い果たし、全くのおけらでとぼとぼ帰る道を誰言うとなくそう呼ぶようになった。
で、その通り沿いには、昔は質屋さんが、今はサラ金が軒を連ねているという。
よく出来た話である。
さて実家の千林の話をしたついでにスーパー閉店の話。
千林はダイエー発祥の地であることは、近頃マスコミにもよく取り上げられているのはご承知だろう。
今は、千林にはダイエーはなく、系列の「トポス」が辛うじて店を開いているくらい。
他にスーパーはというと、最盛期で他に3店のスーパーがあった。
ニチイ、イズミヤ、長崎屋である。
イズミヤ、長崎屋は、郊外にスーパーが駐車場付で開店しはじめてから撤退し、ずっとニチイ(マイカル)1店が商売を継続していた。
私達の衣類の半分はニチイで買ったものだ。
私の兄も、大学を出てニチイに勤めたほどだ。
それほど、ニチイと安部家は密接な関係を保っていた。
だが、思いがけないマイカルの倒産。
そして、3月末をもって千林店閉鎖。
ガーン!そんなあ・・・
実家に帰る楽しみが又一つなくなってしまった。
花散るや、昭和も遠くなりにけり、か。
ということで、中途半端な結論を書いたところで又明日。
今日は久しぶりに上柴とおる先生と会い、しばらくインターネットの話題で盛り上がった、50代のオッサン同士がADSLやFTTHやとわかったようなことを言い合った、周りに違和感あったろうなあ、安部邦雄