そろそろ論理的な話を書かないといけないのだが、季節の替わり目なのか頭がうまく働かない。
おまけに今日は一日中雨。
鬱陶しいことこの上ない。
雨に関しては、前に子供の頃とても雷が嫌いだった話を書いたし、「おやおやあの子はずぶ濡れだ?柳の根方で泣いている」という歌詞に、心疼くものがあると書いた記憶がある。
後、『モナリザの微笑み』の歌詞の「雨がしとしと日曜日、僕はひとりで君の帰りを待っていた」ことがあると告白したことも。
雨は色々な記憶を私に呼び起こさせるが、どれもあまり楽しい記憶じゃない。
雨の歌というと思い出す映画に、私は「有楽町で逢いましょう」がある。
フランク永井さんの主題歌が有名な映画で、何と、見た場所が、当時の実家の前にあった小学校の校庭である。
昔は、校庭にスクリーンを置き、地域住民が寄り集まってきて鑑賞するなんてことがよくあった。
もちろん、暗くなってからである。
何本か見た記憶があるのだが、小学校低学年の頃だったからか、ほとんど覚えていない。
「有楽町で逢いましょう」は、歌を覚えていたので、まだ見れた作品だった。
有楽町がどこにあるのかなんて殆ど知らない。
ただ、男と女が逢い引きをして、そこに雨がずっと降っていたという記憶しかない。
はて、そんな映画でしたかね、みなさま。
映画は1958年の正月封切りだとか。
学校に流れてくるのだから、1960年ぐらいのことだったかもしれない。
当時は、人々はあまり家の中に閉じこもるということがなかったような気がする。
もちろん、子供は風の子で、家になんかいるわけがない。
だから、親は夕方までに帰ってこいとうるさかったし、暗くなったら「子とり(誘拐魔)」が出るで!とずっと脅していたわけだ。
今の子供をそういう言葉で脅しているお母さんなんか、ここ20年ぐらい見たことがない。
いいことなのか、悪いことなのか。
とにかく、当時の人は家にはいなかった。
だから、外での映画会だって成立したし、街頭録音なんて番組もよく作られていた。
公園に街頭テレビが置かれるようになったのもこの頃である。
高いところに、金属の箱が置かれ、その中にテレビ受像機が格納してあった。
夕方になると、係の人が鍵をあけに来る。
その時間まで、私達はブランコやシーソーで遊んだものである。
映画界も街頭テレビも雨の日は中止だった。
ほんとに雨の日は子供達にとって大敵だったというわけである。
テレビがない時代、雨で家の中にいても、これといって何もすることがないのだ。(勉強してりゃイイ?ごもっとも)
だから、貸本屋さんに行って、漫画とか冒険小説とか借り出していたのかもしれないなあ。
今日は、雨の歌を色々と書いてみようと思ったのだが、思いで話に終始してしまった。
今から書き直すのも何だから、今度の雨の日のテーマにするとしよう。
雨の日の映画でちょっと強烈だったのを思い出した。
「人類創世」というフランス=カナダ合作映画。
こんなずぶ濡れ、泥まみれになりながら、そんなことよくやるなあ、と感心した映画だった。(そんなことって?あんなことですよ、わかるでしょ。)
俳優さん達も本当にごくろうさんでしたね。
ほとんどセリフなしの映画で、ちょっと感動ものです。
監督はジャン・ジャック・アノー、俳優は知らん人ばっかしでした。
ま、そういうことで今日はこれで。
邦画でさすが!と思ったのが「七人の侍」ですね。あんな泥試合、私なら絶対撮る気にならんでしょうなあ、安部邦雄