浜崎あゆみの露出度が異常である。
テレビのバラエティに出倒したり、銀座で握手会までやるなんて。
顔を出して、再認知させたいのだろうが、何の為にそんなことをするのだろうか。
前にも書いたが、若者の中のイノベーター層はもう浜崎あゆみにカリスマ性を見い出していない。
残っているのは、ミーハー層ばかりだが、この層はイノベーター層の動向を見ながらファンを続けているのである。
テレビでよく顔を見るからとか、新聞や雑誌でとりあげられているからではないのだ。
名前や顔をなるべく多く露出するというのは、ジャンルで言えば、新人のアイドル歌手とか演歌歌手のやることである。
今回の下手なキャンペーンは誰が仕組んだものなのか?
ひとことで言うとなりふりかまわず、ということなのだろう。
原因は、長瀬との交際発覚と身体障害者罵倒事件の処理ミスにある。
何か、若者の間の手ごたえが前ほどではない。
とにかく、できるだけのことはしよう。
で、相談する連中が、テレビ局や大手広告代理店、どこかの大物プロデューサーとかになる。
ところが、この人たち、まるっきり若者イノベーター層のことなどわかっていない。
若者向けのカリスマがそのカリスマ性を維持する方法論をまるでわかっていない。
ジャリ向けとオジンオバン向けしか、理解していない。
テレビに露出すればいい、なんていうのからして間違いである。
まだ、ニッポン放送のオールナイトニッポンのDJをやるとか、FM東京のレギュラーやる方がましである。
倉木真衣が、スペイン坂で出演して話題になっていたが、やるとしたらこちらなのである。
無闇矢鱈と露出するのではなく、ここと言う時にピンポイント的に攻める。
これが、カリスマをよりカリスマ化させる方法である。
宇多田ヒカルなんて、滅多にテレビに出ないでしょ。
本当のカリスマ的人気を狙うアーチストは、自分を過度にさらけだしてはいけないのだ。
人間は神ではない。
曝け出されたものが、いつも絶対的な価値を持つわけではない。
だから、カリスマは曝け出されてはいけないのだ。
演劇の舞台とよく似ている。
舞台の書き割りやセット、客席から見ればものの見事によくできているはずだ。
豪華にも見えるし、より幻想的に見えたりする。
しかし、これは見せ方がうまいからに他ならない。
照明のあて方、客席からの視線の角度、それらを美術担当者が研究し、一番いい見せ方を実現した結果なのである。
実際、素の明かりで見る舞台等、見られたものではなかったりもするのだ。
色の付け方は大雑把、幕はシミだらけ、小道具の絵はまるで子供の書いた絵だったりする。
芸能界も同じ。
才能があるように見えるのも、歌がうまいように聞こえるのも、顔が美人に見えるのも、肌がきめ細かく見えるのも、こんなのは裏方次第で何とでもなるのである。(ま、何とでもなるけど、あまりひどいのはコストパフォーマンスの関係で御遠慮いただくが)
さて、浜崎あゆみである。
今回の無謀な宣伝戦略、誰が考えたが知らないが、若者をバカにするのも甚だしいと思うのだ。
田舎の若者を騙しているつもりなのだろうか?
今どき、地方でもこんな戦略に乗っかったりしないのでは。
本人、おそらく自分を見失って悩んでいることだろう。
彼女の顔には、焦りしか感じない。
化けの皮がはがれかかっているとでも言えばよいのだろうか。
カリスマはテレビに過度に出てはいけないのだ、創価学会の池田大作氏がこんなにテレビに出たりしますか?安部邦雄