自分を理解し、人を理解する為には、まず己をシンプルにすることが肝要だ。
これ、私の最新の発見。
もちろん、皆さんは既にこれぐらいのことは分かっておられたろうと思う。
私は前に、自分は人の意見を聞かないタイプであることに気づいたと書いた。
すると、上柴先生から今頃何言ってるの?とメールをいただいてちょっとショック。
そうか、こんなこと皆とっくに気づいていたんだ。
私が気づいていなかっただけなのか。
ま、そういう経験があったので、本当は「発見」なんて言葉は使わない方がいいのかもしれないが、とにもかくにも私の中では世紀の発見なので、しばらくこの言葉を使わせていただく。
で、理解しあうには自分をシンプルにすることから始めようという話である。
端的な例は男女の関係にある。
自分を理解してもらう為には、シンプルであることが重要なのだが、さてこの場合のシンプルとは。
まず見た目。
美人、可愛い、かっこいい、男前、スタイル抜群、センスいい。
これらは、すべて異性を瞬間的に引き付ける要素である。
つまり、これらは理屈もへったくれもない。
そのメッセージはシンプルだ。
私は生物的に優良種なのだ、ということだ。
逆も又ある。
ブス、醜男、肥満体、ハゲ、チビ、身体障害者・・。
これらは、基本的に排斥される形態的特徴である。
そのメッセージもシンプル。
生物として劣性種だということだ。
しかし、男女の中はこれだけですべて決定されるわけではないことは自明のことである。
人間は考える葦である。
だから、シンプルなものを越えて、色々と人は考える。
劣性の形質を持っているからといって、生物的本能に基く排除行為は行ってはならないと人は口にする。
それが道徳であったり、宗教であったりするわけだ。
しかし、こうなるとシンプルではなくなる。
だから、それを後世までに伝えるのはなかなか難しい。
これは伝言ゲームでよくおわかりだろう。
最初に伝えられた言葉は、間に入る人間の心的バイアスによって、誇張され省略され、最後に伝わる時にはとんでもない言葉に変わっていたりする。
つまり、道徳も宗教も、結局は同じ形ではなかなか伝わらない。
字の発明によって、それを普遍的な形で残す技術は開発された。
しかし、その解釈は、時代の変遷とともに又変わっていく。
同じ宗教を語っていても、それはもう違う解釈のものになっていったりするものだ。
一番伝わるのは、シンプルなものだけだ。
道徳でいえば、人に迷惑をかけてはいけない、ということ。
宗教的には、神を信じなさい。信じるものは救われるということだ。
その後のややこしいことは、なかなか普遍的な形では伝わらない。
インターネットの基本は伝えることである。
間違って伝えられないよう、又、途中に少々のバイアスがかかっても、コンテンツの持つ価値が歪んで伝わらないよう、私達は、それらをできるだけシンプルなものにする必要がある。
ただし、伝えたければ、相互に理解しあいたければ、が前提である。
そんなこと、どっちでもええやんけ、の人はどうぞ御自由にと言うしかない。
だから、私はやっと自分をシンプルにするための努力を開始しはじめたのだ。
今は、まだスタートしたばかり。
とりあえず、自分でややこしくしてしまった私を解凍し、シンプルな私をリコスントラクションし始めたたばかりである。
将来、自分がどう変わって行くのか、楽しみにしながらこの更新を継続させてもらっている。
明日も又、このシンプルについて続きを書く。
毎日この欄を書き込むのもその一環である、私は日々コンプレックスな自分を言葉でもって表現し、なるべくシンプルな形に凝縮しようとしているのである、かって桂枝雀師匠が、落語の究極は何も喋らないでも高座に座っていられることだと言っておられた、わかるような気がするのだが、安部邦雄