世界が本当にシンプルなものであるか、或いは自分自身が本当にシンプルな存在であるか、そんなことはわからない。
ただ、誰かとコミュニケートする時、自分を分かってもらいたいと思う時、できるだけ自分を、表現することをシンプルにすることが肝要だ。
よく、難しい言葉でしか自分を表現出来ない人は、結局自分をはっきりとは分かっていない人だといわれる。
子供にでもわかるような平易な言葉を使って自分を表現できる人は、本当に自分を分かっている人だと。
難しいことを難しい言葉で言うのはそれほど難しくはない。
難しいことを易しい言葉で話す、それこそ一番難しいことなのである。
重いものを軽くすることが、理解の第一ステップだと私は繰り返している。
難しいことを易しくするのも、これも重いものを軽くすることである。
インターネットで、例えば何かを皆に知ってもらいたいと思う時、最初にやらねばならないことは、自分の頭の中の整理だ。
自分の伝えたいことをできるだけ平易な構造にし、平易な言葉で表現する。
そうすれば、あなたのサイトに来られた人は、きっと思うだろう。
何か、ここにはよくわからんが、メッセージがあるなあ。
平易な言葉というのは、あくまで自分を表現するための手段である。
誰かの思想を、誰かの言葉で語っても、誰もあなたのメッセージなどは聞いてはくれない。
必要なのはワンアンドオンリーなメッセージである。
それも、あなたの脳が作り上げた宇宙的空間をみごとに表現した言葉でなければならない。
ネット・サーフィンする人が、本当に出会いたいのは、心からのメッセージである。
シンプルで、ライトで、サクサク感のある、リアルタイムなメッセージなのだ。
うまくいけば自分も参加できるのではないか、そして自分も又そういうリアルタイムなメッセージを伝えることができるのではないかという可能性へのときめきが、自分の中にもふつふつと湧いて来たりするものなのだ。
インターネットで学ぶべきことは、物事は常にシンプルな形で理解しないといけないという考えを自分のものにすることだと思う。
ややこしいまま、ネットに乗せてはいけない。
常に、シンプルに、ライトに、そしてリアルタイムに、とりあえず今日はお題目のように、それを繰り返してみることにした。
とはいえ、この欄で私が語っていることは、必ずしもシンプルなものにはなっていない、それは未だ自分がその過程にしかいないということの証明なのかもしれない、安部邦雄