昨日は、日本の音楽業界にやや挑発的なことを書いた。
「一部の若い連中が、商業音楽業界に利用されて、こんな毒にも薬にもならない音楽に熱中しているのである。」
書いてから、やや言い過ぎかなと思ったが、辛辣ではあるが、いい得て妙だなと自己満足気味なのも否定出来ない。
ここには二つの構造がある。
1つは、既に音楽業界は今のままでは発展しない構造であるにもかかわらず、それを積極的に改善しようとしないこと。
2つは、その音楽業界に参画しようとする若者が、相変わらず過去の成功物語(あるいはビジネスモデル)の延長上に自分達の未来を置こうとしていること。
で、この構造は、考えたら教育界も全く同じような構造を持っているのに気づいた。
音楽業界を「東大」と置き換えればいい。
東大に、これからの未来がないというのは、少しでも現実を知っているものには理解できることである。
しかし、東大は、わかっていても今の状況を変えることはできない。
今までのやり方で当面行くしかないと、ほとんどのスタッフは思っていることだろう。
問題なのは、相変わらずその東大を目指す若者が後を断たないことだ。
教育熱心な親御さんもその例にもれない。
東大に入れば、まだ何か人より有利な立場になると思い込んでいる。
その為に、親も若者も毎日膨大な投資を行っている。
親は教育費に、そしてその為の環境作りのために金を使う。
子供を叱咤激励する為に、むだなエネルギーを浪費する。
若者は、せっかく与えられた可能性溢れる時間を、受験勉強というバイアスだらけの学習にほとんどを消費する。
でも、やっている人たちは、必死だ。
私のこんな皮肉たっぷりの忠告に耳等貸すはずもない。
音楽の話に戻る。
上の結論は、もちろん同じように有効である。
音楽業界に群がる人々は、必死だ。
私のこんな皮肉たっぷりの忠告に耳等貸すはずもない。
耳を貸さないような人々はほっておくしかない。
音楽業界にもオルタナティブが必要ということだ。
東大や京大などの教育ヒエラルキーとは別に、オルタナティブな教育制度を提起しないといけないのと同様に。
構造改革はあらゆる業界に必要なことである。
その時のキーワードが、ひょっとしたら「オルタナティブ」と言うことかもしれないね。
インターネット私見(13)では、音楽配信ではセカンドマーケットで勝負しろと私は書いた、今の業界がファースト・マーケットなら、そんな連中のいるところで商品並べて商売してはいけないと思うのだ。オルタナティブとは、同じ土俵で競争することではないと強く主張したい、安部邦雄